Elsa Barkerの Letters from a Living Dead Man(E. P. Dutton & Company, 1920)は、著者が「X」と呼ぶ人物から自動書記で受け取ったとする手紙をまとめた作品です。
ここでは著者による序文の全文を掲載します。バーカーは、「X」と署名された自動書記の始まり、出版を決意するまでの経緯、そして本書を科学的証明として提示するものではないという留保を記しています。
心霊現象、自動書記、死後存続に関する記述は原著者の主張と体験談であり、翻訳者が事実として認定するものではありません。
序文
昨年のある夜、パリで、私は鉛筆を取り上げて書かなければならないという強い衝動に駆られた。しかし、何について書くのかはまったく分からなかった。その衝動に身を任せると、私の手は外部からつかまれたようになり、個人的な内容の、驚くべきメッセージが現れた。その末尾には「X」という署名があった。
メッセージの趣旨は明らかだったが、署名には困惑した。
翌日、私はこの書いたものを友人に見せ、「X」とは誰のことか思い当たるかと尋ねた。
「まあ」と彼女は答えた。「それが私たちがいつもMr. ----をそう呼んでいる呼び名だということを知らないの?」
私は知らなかった。
さて、Mr. ----はパリから六千マイル離れたところにいて、私たちが思うかぎりでは、生者の国にいるはずだった。ところが一、二日後、アメリカから私のもとへ手紙が届き、Mr. ----が、私がパリで「X」の署名のある自動書記のメッセージを受け取る数日前に、合衆国西部で亡くなっていたと知らされた。
私の知るかぎり、彼の死をヨーロッパで知らされた最初の人は私だった。そこで私はすぐ友人を訪ね、「X」がこの世を去ったと伝えた。彼女は驚いた様子を見せず、私が「X」の手紙を見せた数日前、その時には口にしなかったものの、もう確信していたのだと話した。
当然ながら、私はこの異常な出来事に強い印象を受けた。
「X」は心霊主義者ではなかった。私自身もそうではないし、これまで心霊主義者だったこともない。そして記憶するかぎり、私の手を通して自動的に書いた、肉体を離れた存在らしきものは、それ以前には二つしかなかった。それは霊媒的な人物の立ち会いのもとで起きたのだが、メッセージは短く、私はその現象に大きな重要性を与えていなかった。
子供のころ、何度か別の人の手と一緒に自分の手をプランシェットに置いたことがあり、プランシェットはありきたりな、たわいないことを書いた。最初の「X」の手紙の数か月前のある時には、職業的な霊媒ではない人の手と一緒に、私の手をプランシェットに置いた。その時、翌年のある月に私の家で火事が起こるという予言が、死んだ友人によって書かれたものとして現れた。その予言は文字どおり実現した。ただし火事は私の手が原因ではなく、私の住んでいた部屋で起こったのでもなかった。
何年も前、友人たちに説得されて、職業的な交霊会に一緒に出かけたことが数回あり、いわゆる物質化現象を見たこともある。また、ほかのどんな仮説でも説明できず、死者の出現と考える以外にない、いくつかの姿を、独立して見たこともあった。
しかし、二つの世界のあいだの交信という問題全体に対して、私は異例なほど無関心だった。心霊主義はいつも私をまったく動かさなかったし、その主題についての通常の標準的な著作さえ読んでいなかった。
それでも、私は何年ものあいだ、ほとんど毎日のように「入眠時幻視」を見ていた。それらはしばしば、驚くほど予言的な性質を帯びていた。そして、のちに「X」が示したそれらの説明は、真の説明なのかもしれない。
Mr. ----が死んだと記したアメリカからの手紙を受け取って間もなく、私は夕方、「X」とは誰かを教えてくれた友人と一緒に座っていた。彼女は、もし彼にできるのなら、もう一度書かせてみてはどうかと私に尋ねた。
私は、自分自身の関心からというより友人を喜ばせるために同意した。そして「私はここにいる、間違いなく」と始まるメッセージが、私の手を通って現れた。最初の時と同じく完全に自動的だったが、文と文のあいだに途切れや間があり、大きく、形の悪い文字だった。この時に使われた力のため、翌日には右手と腕が痛んでいた。
その後数週間、「X」の署名のある手紙が何通か自動的に書かれた。しかし私は熱中するどころか、この書き方に対して強い気乗りのしなさを覚えるようになった。私が続けるよう説得されたのは、「X」が本当に世界と交信したいと思っているなら、彼を助けられる私は非常に恵まれた立場にある、という友人の議論によってだけだった。
「X」は普通の人ではなかった。七十歳近い、よく知られた弁護士であり、哲学を深く学んだ人で、本の著者でもあった。彼を知るすべての人にとって、その純粋な理想と熱意は、人を奮い立たせるものだった。彼の家は私の家から遠く、私は長い間隔を置いて会っただけだった。私の記憶するかぎり、私たちは死後の意識の問題を話し合ったことはなかった。
自動書記に対する強い偏見を少しずつ克服すると、私は「X」が墓の向こうの生について教えてくれる事柄に関心を持つようになった。私はその主題についてほとんど何も読んでおらず、通俗的な『ジュリアからの手紙』さえ読んでいなかったので、先入観はなかった。
メッセージは届き続けた。しばらくすると、手や腕が痛むことはなくなり、書く形も、それでも決して非常に読みやすくはなかったが、以前ほど不規則ではなくなった。
ある時期には、手紙は友人の立ち会いのもとで書かれた。その後「X」は、私が一人でいる時にいつも現れるようになった。私が二つの都市のあいだを行き来していたので、彼はパリでもロンドンでも書いた。週に何度も現れることもあれば、私が彼の存在を感じないまま、ほぼ一か月が過ぎることもあった。私は彼を呼び出したことがなく、訪れと訪れのあいだに彼のことをあまり考えもしなかった。ほとんどの時間、私のペンと考えは別の事柄に占められていた。
書き始める前に、手紙の内容が分かっていたのは一度だけだった。ある夜、鉛筆を取り上げた時、「X」が何について書こうとしているのか私は分かっていた。しかし、その出来事は覚えているものの、それがどのメッセージのことだったかは忘れてしまった。
これらの手紙を書いているあいだ、私はたいてい半ば意識のある状態にあった。そのため、あとでメッセージを読み返すまで、そこに何が書かれているのか漠然としか分からなかった。何度か、ほとんど意識を失いかけていて、鉛筆を置いた時には、自分が何を書いたのかまったく分からないこともあった。しかし、それは頻繁には起きなかった。
これらの手紙を私の序文付きで出版してはどうかと最初に提案された時、私はその考えにあまり熱心になれなかった。何冊かの、多少は知られた本の著者である私は、自分の文名が安定していることについて、ささやかな虚栄心を持っていた。風変わりな人、「変人」として知られたくはなかった。それでも、手紙は私の立ち会いのもとで自動的に書かれたと述べる序文を書くことには同意した。それは真実ではあったが、真実のすべてではなかった。これで友人は納得した。しかし時がたつにつれ、私自身は納得できなくなった。それは完全には誠実でないように思えた。
私はその問題を自分自身と議論した。もし私が個人的な序文なしにこの手紙を出版すれば、それらは創作、想像の作品だと受け取られるだろう。そして、そこに含まれる驚くべき発言は、来世の真実を説得力をもって論じるための力を失うことになる。もし、手紙は私の立ち会いのもとで、いわゆる自動書記によって現れたと述べる序文を書けば、当然、誰の手を通って現れたのかという疑問が生じ、私は言葉を濁さざるをえなくなる。しかし、それらが私自身の手を通って現れたと率直に認め、事実をあるがままに正確に述べるなら、開かれている仮説は二つだけになる。第一に、それらは肉体を離れた存在からの真正な通信であるということ。第二に、それらは私自身の潜在意識の産物であるということ。しかし後者の仮説では、友人が死んだことを私が知る前に届いた、「X」の署名のある最初の手紙を説明できない。それを説明するには、各人の潜在意識があらゆることを知っていると仮定しなければならない。その場合、なぜ私の潜在意識は、私の客観的な心からも、他の誰の心からも、そうするという前提を示唆されていなかったのに、私を相手に、長く骨の折れる欺瞞を始めるのだろうか。
これほど重大な事柄について、私が故意に人をだまし、空想を語っていると誰かが非難するとは、その時も今も思えなかった。私の想像力には、詩と小説という、ほかに正当なはけ口があるからである。
この問題が最終的に決着するまでに、手紙の三分の二ほどは書かれていた。そして、もし手紙を出版するなら、私がそれを受け取った正確な事情を述べる、率直な序文を付けて出版しようと決めた。
実際の書記は十一か月を超える期間に及んだ。次に、編集の問題が出てきた。何を残し、何を含めるべきか。私は、「X」の私的な事情、私自身の私的な事情、そして彼の友人たちの私的な事情への言及を除いては、何も省かないと決めた。何かを付け加えてもいない。時折、「X」の文体がぎこちない時には、文を組み立て直したり、反復を削ったりした。しかし私は、編集者として校正のために普通の原稿を受け取った場合に許されることより、はるかに少ない自由しか取っていない。
時に「X」はとても口語的であり、時に法律用語を使い、またアメリカの俗語を使う。親しい手紙のやり取りで誰もがするように、一つの主題から別の主題へ、つなぎの句もなく飛ぶことがよくある。そして、もとの主題へ戻ってくる。
彼は来世について、私がいつも抱いてきた意見とは正反対の、いくつかの発言をしている。それらの発言は、書かれたまま残した。彼の哲学的な命題の多くは、私にとってまったく新しいものだった。その深さが分かったのは、数か月後になってからということもあった。
私はこれらの手紙を出版したことについて、弁明するつもりはない。それらは、出所が何であれ、おそらく興味深い文書である。そして私は、手紙を書く際に「X」に自分の手を差し出した時と、これを世に出す時とで、恐れに違いはない。
もし誰かが、これらの手紙は目に見えない世界からの真正な通信なのかについて、私自身はどう考えているのかと尋ねるなら、私は、そう信じていると答えるだろう。個人的な事情や削除された部分では、私が知らなかった過去の出来事や所有物への言及がしばしばあった。そして、それらの言及は事実だと確認された。このことは、心理学者たちのお気に入りであるテレパシー説には何の影響も与えない。しかし、もしこれらの手紙がテレパシーで私に伝えられたのなら、誰がそれを伝えたのだろうか。書記の多くに立ち会った私の友人ではない。彼女にとっても、その内容は私にとってと同じくらい驚きだったからである。
ただし私は、この本について科学的な主張をしているのではないと述べておきたい。科学には試験と証明が必要だからである。「X」の署名のある最初の手紙、つまりMr. ----が死んだことも、「X」が誰かも、私が知らないうちに届いた最初の手紙を除けば、この本は、心理学者たちの理解する意味での「試験条件」のもとで書かれたのではない。肉体の死後も魂が存続することの証拠としては、その内容が真実かどうかについての各人の気質、経験、内的確信に従って、一人ひとりが受け入れるか拒むかしなければならない。
「X」がいなければ、また、自然の目に見えない側に、私が同じ程度の信頼を寄せられる別の存在がいなければ、私はこのような文書をもう一つ作ることはできない。無差別な霊媒行為に対して、私は今も強く、根深い偏見を持っている。憑依と欺瞞の危険を、どちらも認識しているからである。しかし「X」への私の信頼と、パリの友人が私に寄せた信頼がなければ、この本は決して存在しなかっただろう。目に見えない著者への疑い、あるいは目に見える霊媒への疑いは、おそらく二人をともに麻痺させ、この書記の目的を果たせなくしただろう。
これらの手紙が私自身に与えた効果は、私がかつて抱いたことがあるかもしれない死への恐れを完全に取り除き、不死への信念を強め、墓の向こうの生を、ここ、陽光の中にある生と同じように現実的で生き生きしたものにしたことである。もしこれらの手紙が、私に与えてくれた歓喜に満ちた不死の感覚を、ほかのたった一人にでも与えられるなら、私は自分の労苦に報いがあったと感じるだろう。
このような本を出版したことで私を責めたいと思う人々に対して、私が言えるのはただ一つ、私はいつも自分の最善のものを世界に与えようとしてきたということ、そして、おそらくこれらの手紙は私が与えられる最善のものの一つだということである。
ELSA BARKER
LONDON, 1913.