1883年にロンドンで刊行されたWilliam Stainton Mosesの Spirit Teachings は、著者が自動書記によって受け取ったとする通信をまとめた書物です。
今回訳出する著者序文と序論では、Mosesが本書を公刊する理由と、通信を書き取った方法、筆跡や通信者の違い、自分自身の思考が混入した可能性に対する考えを説明しています。心霊現象、霊、外部の知性などに関する記述は、Mosesの体験・主張・見解としてお読みください。
- 原著:William Stainton Moses, Spirit Teachings(London: The Psychological Press Association; E. W. Allen, 1883)。
- 範囲:著者PREFACE全文(印刷pp. iii–iv)とINTRODUCTION全文(印刷pp. 1–8)。後続のSECTION Iは含みません。
- 翻訳:1883年版本文からの独自訳。
- 注記:現代版、既存翻訳、後年版の序文・注釈・校訂・図版、デジタルスキャン画像は使用していません。
序文
この本を出版するにあたって、いくらか弁明が必要だと思われるかもしれない。私の弁明は、次の事実にある。
これらの通信が初めて世に出たとき、大きな関心を呼び、私には多くの書簡が寄せられた。その中に、自分自身の経験にふさわしい言葉を見いだし、程度の差はあれ、自分の助けとした人が多かった。まったく類例のない事例などないように思われ、私自身の霊的教育の記録も、私だけに関わるものではないと分かったのである。
それ以来、これらの教えを一つにつないだ形で出版してほしいという要望が数多く寄せられた。しかし、その実行は私の自由になることではなく、ようやく最近になって、もともとこれらを書くために用いられたのと同じ方法によって、全シリーズを改訂し、また、これほど相互に連関のない大量の素材を可能なかぎり秩序立てて並べ、提示できるようになった。というのも、ここにあるのは大きな分量から取り出した見本にすぎず、その中からは、純粋に個人的な適用に関わるため、最も印象的なもののいくつかを除いてあるからである。
いまやそれらは、何らかの形で一つにまとめておけるほどには強い糸に、ひとまず通されている。
しかし、もともと与えられたときの力と首尾一貫性を、私の試みがかすかにでも再現することはできない。それらは、外部から、しかも求められもしないまま、一つの精神に働きかけた教育的影響の、奇妙な記録として世に出ることになる。その精神は、語られたことを懸命にふるいにかけ、探究しようと努めたのである。これらは、教義上の権威を主張するものでも、文学的な完全性を主張するものでもない。それらは、読者一人ひとりにとって、その読者がそれらをどのようなものにするかに応じたものとなるだろう。
M.A. (OXON.)
序論
本巻の主要部分を構成する諸通信は、Automatic or Passive Writing(自動書記または受動書記)と呼ばれる手続きによって受け取った。この方法は、Psychography(サイコグラフィー)と区別しておく必要がある。前者では、霊媒がペンや鉛筆を持つ、またはプランシェットに手を置くことで、本人の意識が介入しないまま文面が書かれる。後者では、書く行為そのものが直接行われるか、霊媒の手を使わずに文章が得られ、場合によってはペンも鉛筆も使われない。
Automatic or Passive Writing
| 原著の表記 | 本文での日本語表記 |
|---|---|
| Automatic or Passive Writing | 自動書記または受動書記 |
| Psychography | サイコグラフィー |
自動書記は、私たちが大づかみにSpiritと呼ぶもの、すなわち目に見えない世界と通じるための、よく知られた方法である。私は読者にとっていちばん分かりやすい語として、この「霊」という言葉を使う。ただし、地上と通信する不可視の存在の多くには、この名称を当てるべきではない、と反論されることは承知している。そのような存在は、人類のreliquiæ、つまりかつて人間だったものの殻だと、しばしば語られているからである。この論争的な問題に私が立ち入るのは本意ではない。私の話し相手たちは自分を霊と称する。私がそう呼んだためかもしれないが、現在の目的に限れば、私にとって彼らは霊である。
このメッセージが私の手を通って書かれ始めたのは、ちょうど十年前の1873年3月30日、私が初めて心霊主義に導かれてからほぼ一年後のことである。それまでにも多くの通信は受けていたが、この方法を選んだのは、扱いやすさのためであり、また、まとまりある教えとして残そうとした内容を保存するためでもあった。叩音でメッセージを一字ずつ伝えるという労の多い方法は、ここで印刷するような通信には明らかに不向きだった。霊媒がトランス中に口で語れば、内容は部分的に失われた。しかも当初は、霊媒の考えが混ざらないだけの精神的な受動性に頼ることは、とてもできなかった。
私は、普段から携帯する手帳を一冊用意した。ほどなく、心霊的なオーラの染みた本を使うと、書字がいっそう滑らかになることを知った。何度も使われたテーブルほど叩音が起こりやすく、現象が霊媒自身の部屋で最も生じやすいのと同じである。スレイドは新しい石板ではメッセージを得られなくても、自分が使い込んだ石板ならほとんど失敗しなかった。私はこの事実の責任を負う立場ではないが、その理由は十分理解できる。
最初の書字はとても小さく、形も揃わなかった。そこで私は、ゆっくり用心して書き、手の動きを見張りながら目で行を追わねばならなかった。そうしないと、メッセージはすぐ意味を失い、残るものは単なる乱筆になった。
だが、短い期間のうちに、私はそのような注意を省けると分かった。字はさらに細密になりながら、同時にたいへん規則正しく、美しい形を取るようになった。書法の標本として見ても、きわめて美しいページが何枚かある。ページの上端に書いた私の質問への答えは、段落を整え、印刷所へ渡す原稿のように配置されていた。「神」という名は常に大文字で、ゆっくり、しかも一見すると敬意を込めたように記された。内容はいつでも純粋で高尚であり、その多くは私個人に適用され、私の指導と方向づけを目的としていた。
1873年から1880年まで途切れず続いたこれらの筆記通信について言えば、私が知るかぎり、軽薄な文も、冗談を試みた形跡も、下品さも不調和も、誤りや人を惑わす発言もなかった。そこには、教えること、啓発すること、そしてその任に適した霊たちが導くことを目的とする、繰り返し表明された意図に反するものは何もなかった。私なら自分もそう判断されたいと思う基準で見れば、彼らは自称した通りの者だった。語られた言葉には誠実さがあり、沈着で真剣な目的があった。
最初の通信はすべて、先に述べた小さな文字で書かれ、様式も署名の「Doctor, the Teacher」も一定していた。彼が何年にもわたって書いたメッセージの間、その様式は一度も変わらなかった。いつ、どこで書いても筆跡は同じで、実際、過去十年間の私自身の筆跡より変化が少ないほどだった。文体の癖も変わらず、彼のメッセージには持続する個性があった。私にとって彼は、固有の風変わりさと特徴を備えた、一つの存在、人格、存在者である。もしこの大まかな比較が彼を不当に扱っていないなら、私が出会う人間と同じほど明瞭に輪郭づけられていた。
やがて別の源からも通信が届き、それぞれが自分固有の筆跡と文体・表現の癖によって見分けられた。いったん現れたそれらの特徴は、同じように変わらなかった。筆跡の特徴だけで、誰が書いているかをすぐ言い当てられた。
しだいに私は、自分の手に直接働きかけることのできない多くの霊が、「Rector」という霊の助けを求めていると知った。Rectorは、より自由に、私への負担も少なく書けるようだった。書くことに不慣れな霊が筆を取ると、文章はしばしば脈絡を失い、私の生命力をいつも大きく消耗させた。彼らは、蓄えた力がどれほど簡単に尽きるかを知らなかったのである。
こうして一種のamanuensis(筆記者)となった霊の書字は流暢で、読み解きやすかった。一方、多くの霊の字は詰まり、古風な形をし、書くことにも頻繁に難儀して、ほとんど判読できないこともあった。そのため、通常はRectorが書いた。ただし、霊が初めて来たとき、または通信を強調したいときには、そのメッセージに責任を持つ霊が自分で書いた。
しかし、すべてのメッセージが一つの孤立した霊感源から出たと考えてはならない。この巻に印刷した通信の大半についてはそうであるが、本巻は、ある時期に「Imperator」だけが私に関わっていた期間の記録である。ただし彼は自分で書こうとしたことがないので、Rectorがその筆記者を務めた。他の時期、とりわけその時期以後には、結びついた霊たちの一団から通信が来て、彼らがメッセージのために筆記者を使ったらしい。私がこの通信を受け取った最後の五年間には、その傾向がいっそう強くなった。
メッセージが書かれた条件は、実にさまざまであった。通常は私が一人でいる必要があり、心が受動的であればあるほど通信は容易だった。しかし実際には、私はあらゆる種類の条件の下でメッセージを受け取った。初めは難しかったが、やがて機械的な手順が身についたらしく、ページからページへ、本書の実例を通じて読者が判断できるだけの材料が書かれていった。
いま印刷する文章は、最初に書かれたときと似た方法で改訂されている。これはもともと新聞『スピリチュアリスト』に発表されたもので、最初に書いた者たちが改訂したが、実質的には変更していない。『スピリチュアリスト』への掲載が始まった当時、私には、いま行っているような仕事をする考えは少しもなかった。友人たちが見本の発表を望み、選択は連続性を特に考えずに行われた。私を導いたのは、個人的な関心だけに属するものを公表したくないという思いだった。そのため、なお生きている人々への言及を含み、私が彼らを活字に引き出す権利を持たない多くの部分を、やむなく除いた。自分に関する個人的な事柄を印刷するのは嫌だったし、他人に関する事柄を印刷する権利が自分にないことは明らかだった。
こうして最も印象的で強い力を持つ通信の一部は除外された。いま印刷するものは、現在は日の光を見ることのできないものの、ほんの一標本にすぎないと見なすべきである。それらは、私も関係者も、その公表によってもはや傷つけられることのない遠い時期まで、考慮のために留保されねばならない。
私自身の思考が通信の内容に入り込んだかどうかは、興味深い推測の題材である。私は、そうした混入を防ぐために異例なほど努力した。初めは書字が遅く、目で追う必要があったが、それでも書かれた考えは私の考えではなかった。まもなくメッセージは、そこにある考えが私の考えと反対だと疑いなく分かる性質を示すようになった。さらに私は、書字の間、別のことに心を向けておく力を身につけた。メッセージが途切れず規則的に書かれるあいだに、難解な本を読み、緻密な推論を追うこともできた。そのように書かれたメッセージは何ページにも及び、途中に訂正も文章上の誤りもなく、しばしば力強さと文体の美しさが持続していた。
ただし、私自身の心が利用されていなかった、あるいは、書かれたものの形が、それを伝えた霊媒の精神的な能力に左右されなかった、と主張するつもりはない。私の知る限り、このような通信には、霊媒の個性がいつも跡を残す。それ以外は考えにくい。しかし、私に伝えられた考えの大部分が私の意見とは異質で、基本的には固まった信念に反していたこと、また幾つかの事例では、私が確実に知らなかった情報が、明快で、精密で、形も明確で、検証でき、つねに正確な形で伝えられたことは確かである。多くの交霊会で、霊たちがテーブルを叩き、自分たちについて明瞭で正確な情報を伝え、後に私たちが検証した。それと同じ情報が、幾度も、この自動書記という方法で私にも伝わったのである。
私は一つの事例から他の事例へ推論する。一つの事例なら、自分には新しかった情報が伝達されたことを、積極的に主張し、証明できる。他の事例についても、私以外の考えを伝えてくる外部の知性と交信していたと、私は同じように信じている。実際、本巻に収めた多くの通信の内容は、その固有の質によって、おそらく同じ結論を促すだろう。
私は書くことを命令できなかった。たいていは求めなくても書字が始まり、求めた場合にも、得られないことのほうが多かった。どこから来るのか私には分からない突然の衝動に促され、私は座って書く準備をした。通信が定期的に行われていたころは、毎日最初の一時間を、受信のために座る時間にしていた。私は早起きし、一日の始まりを、他の用途には使わない部屋で、実質的には宗教的な礼拝と呼べる行為にあてた。そこへ書字が現れることは多かったが、決して確実に見込めたわけではない。その他の形の霊的顕現も起こった。晩年に病気が割り込んだ時期を除き、メッセージが止むまで、私は何らかの顕現なしに過ごすことはほとんどなかった。
私がImperatorとして知る霊から受け取った特定の通信は、私の人生に一つのはっきりした時代を刻んでいる。私はこれまでの記述で、その伝達に刻印された霊の激しい高揚、厳しい葛藤、それ以来ずっと望みながらほとんど得られなかった平安の間隙について書いた。それは教育の時期であり、私が経験した霊的発達は、結果としてまさに再生と呼ぶべきものになった。あのとき自分が経験したことを他人に伝えられるとは思わないし、伝えようともしていない。しかし、自分の内面における霊の配剤に無知ではない人々の心には、外部の霊が自分に善い働きをするかという問題が、その時点で私にとって最終的に決着したことが、ひょっとすると感じ取られるかもしれない。それ以来、極端に懐疑的な心の気まぐれの中でも、また疑いを誘う理由が多くある中でも、私は一度も本気で疑ったことがない。
この序論は、私がひどく嫌う仕方で自伝的になってしまった。私が弁明できるのは、霊が一つの苦闘する魂に働きかけた歴史が、他の人々の役に立ったと知る理由がある、ということだけである。後に続く事柄を理解可能にするには、残念ながら自分について話さねばならない。その必要は遺憾だが、記録する経験が、私の体験を典型的なものとして身近に感じる誰かの役に立つかもしれない、という確信からだけ、私はそれに同意する。私たちのうち二人が、まったく同じ方法で光へ向かって苦闘することはないだろう。しかし、個々の魂が抱える必要と困難には、同じ家族に属するような似通いがあると私は信じる。そして過去にそうだったと知って感謝しているように、将来にも、私がどのような方法で教育されたかを学ぶことが、誰かの助けになるかもしれない。
この点に加えて――すなわち通信の内容と、それが私自身に教育的に及ぼした影響に加えて――それが届けられた形式や方法は、重要性がきわめて小さい。価値を決めるのは、通信が本質的に訴えるもの、そこに示された目的、そして含まれる内在的・本質的な真理である。多くの人には全く価値がないだろう。そこにある真理が、その人たちには真理でないからである。別の人々には、ただ珍しいだけだろう。ある人々には、暇つぶしの物語にすぎないだろう。私は、世間一般に受け入れられることを期待して公表するのではない。それを役立つと見いだす人なら誰にでも、役立つものとして提供できれば、それで十分満足である。
M. A. (OXON.)
1883年3月30日