『Patience Worth: A Psychic Mystery』序文と「パティエンス・ワースの来訪」


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1913年、セントルイスでウィジャ盤を囲んだ二人の女性の前に、「パティエンス・ワース」と名乗る存在が現れた――本書は、その出来事と、そこから続いたとされる通信を記録した1916年の著作です。著者キャスパー・S・ヨストは、現象をあらかじめ分類・説明するのではなく、読者が自分で謎を考えるための観察記録として提示しています。

  • 原著:Casper S. Yost, Patience Worth: A Psychic Mystery(New York: Henry Holt and Company, 1916)。
  • 範囲:著者の「序文」と、第1節「パティエンス・ワースの来訪」。
  • 注記:本文中の心霊現象、通信主体、パティエンス・ワースの人格に関する記述は、原著者の観察・主張を伝えるものです。本記事がその実在性や説明を事実認定するものではありません。

序文

この本の編者は、心霊主義者でも、心理学者でも、心霊研究協会の会員でもない。どのような性質の心霊現象についても、彼が抱いてきた関心は、一時的で懐疑的なものにすぎなかった。彼は新聞記者であり、分類することも説明することも試みないある現象について、その事実を提示する機会と喜びを得ている。その現象は、オカルティズムの記録において、ほとんど前例のないものだ。

パティエンス・ワースの謎は、読者一人ひとりが自分で解こうと試みてよい謎である。この物語の唯一の目的は、目に見える真実、いわば物理的な証拠、すなわち目で確かめられ、したがって目視による実証が可能な事柄を示すことにある。その中には、通信に用いる器具と、通信そのものが含まれる。それらについては記述し、説明し、場合によっては、解釈を試みることが望ましいと思われる箇所で解釈も加えている。

パティエンス・ワースの来訪

1913年7月のある晩、セントルイスの二人の女性が、膝の上にウィジャ盤を載せて座っていた。少し前に、ある友人がこの不可思議なおもちゃへの関心を二人に呼び起こし、それ以来二人は、ハート形の指示器が盤上をたどる不可解な軌跡を眺めながら、何時間も過ごしてきた。だが、この日まで、盤を使った何千人もの人々と同じように、二人がそこに見いだしていたのは、面白がりながら驚くためのものという以上のものではなかった。二人が苦労して綴ったメッセージも、どちらか一人の潜在意識から出てきたのかもしれないし、少なくとも、ウィジャ盤を読むことで受け取られてきた無数の通信より奇妙なものではなかった。

しかし、その夜、二人は訪問者を迎えた。指示器は突然、尋常でない敏捷さを与えられたかのように動き、猛烈な速さで、次の自己紹介を示した。

「幾つもの月の昔、我は生きた。今また来た。パティエンス・ワース、それが我が名。」

女性たちは目を丸くして互いを見つめた。すると盤は続けた。

「待て。我はそなたと語りたい。そなたが生きるなら、我もまた生きよう。我はそなたの炉辺でパンを焼く。善き友よ、共に陽気になろう。働く時は過ぎた。猫を炉辺の薪に知恵をまばたかせながら、うとうとさせておけ。」

「まあ、なんて風変わりなんでしょう!」と、女性の一人が叫んだ。

「善き母なる知恵は、そなたには厳しすぎる」と、盤は言った。「そなたは彼女を、育ての母としてのみ愛するべきだ。」

こうして、「パティエンス・ワース」との親密な交わりが始まった。その交わりは今も続いており、心霊現象の記録に引用されてきた乏しい想像文学の中では、知的な力と文学的な質において、ほとんど前例のない一連の通信がそこから生まれた。

最初の訪問の時から、パティエンス・ワースの人格――人格と呼べるものならば――は、この二人の女性に強い印象を与えた。二人は鉛筆と紙を取り出し、彼女が盤を通して伝えたことだけでなく、その発言を引き出したすべての質問とコメントまで書き留めた。それ以来、集まりが開かれるたび、会話と通信の逐語記録が作られてきた。

記録は積み重なり、タイプライターで打たれたページが何巻分もの量になった。そして、この記録と、現象が働く様子を観察した著者自身の所見をもとに、この物語は組み立てられている。そこに含まれるのは、会話、格言、警句、寓話、物語、劇、詩――戯れに満ちたものから宗教的なものまで――であり、祈りさえ含まれている。その大部分はかなりの美しさを持ち、文学において独特なものだと考えてもよい性質を備えている。

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ここで言う女性たちとは、元ミズーリ州移民局長官の妻であるジョン・H・カラン夫人と、セントルイスのタワー・グローヴ公園委員会書記の妻であるエミリー・グラント・ハッチングス夫人である。二人とも教養があり、洗練された女性だった。カラン夫人は、神経質な気質を持つ若い女性で、明るく活発で、言葉が早い。文学を好んではいるが、作家ではなく、個人的な手紙より大がかりなものを書こうとしたことは一度もない。一方、ハッチングス夫人は、技量のある職業作家であり、記録が始まったのは、通信の質を彼女が素早く見抜いたからだった。

しかし間もなく、通信を伝える唯一の媒介者はカラン夫人だと明らかになった。通信は彼女が盤についている時にしか現れず、そのほかに誰が彼女と一緒に座っているかは問題にならなかったからである。最初の数か月はカラン夫人とハッチングス夫人だけが座っていたが、やがて輪は広がり、ほかの人々もカラン夫人を手伝うようになった。一晩のうちに、五、六人が彼女と一緒に座ることもあった。カラン氏は書記を務め、ほとんどの集まりで通信を書き取った。時には彼の代わりに、カラン夫人の母、メアリー・E・ポラード夫人が書き取ることもあった。

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ウィジャ盤は、幅約16インチ、長さ24インチ、厚さ0.5インチほどの長方形の木板である。その上には、アルファベットの文字が二つの同心弧に並べられ、その下に十個の数字があり、上の隅には「はい」と「いいえ」の語が置かれている。プランシェット、つまり指示器は、三本の脚がついた薄いハート形の木片で、盤上を動き回り、その先端が、綴られていく語の文字を指し示す。操作には二人が必要だ。二人は指先を指示器に軽く置き、待つ。動くこともあれば、動かないこともある。盤上を目的なく動き回るだけで、何も綴らないこともある。語を綴っても、文を作れないこともある。しかししばしば、指示器を動かす力の働きにすぐさま応じ、質問にも十分理解できる形で答える。それどころか、時には、その場にいる人々を驚かせ、畏れさえ抱かせるような答えを返すこともある。その力を、ある者たちは超自然的な影響に、別の者たちは潜在意識に帰してきた。しかし科学はそれを軽蔑してきた。近年まで、科学はほとんどすべての前例のない現象をそう扱ってきたのである。

心霊現象の著名な英国人研究者、W・T・キャリントン氏は、この問題についての大著の中で、ウィジャ盤について次のように述べている。

「議論のために、盤が座っている者によって、意識的であれ無意識的であれ動かされていると認めよう。それでもなお、大きく本質的な問題は残る。現象を指揮する、盤の背後にある知性とは何なのか。現在の我々の知識の状態で、この問いに最終的かつ決定的な答えを与えようとする者には、厄介な仕事が待ち受けている。私は個人的には、そのようなことを試みてはいない。」

ウィジャ盤は、長年にわたって使われてきた。盤を通じて好奇心をそそる不可解なメッセージが受け取られるという、単純な事実そのものに新しさはない。この点を強調するのは、パティエンス・ワースと呼ばれる知性からの通信に対して、盤がどのような位置を占めるのかを正しく置きたいからである。そこに含まれる心霊的な問題――そして盤に関する限り、この場合もほかの場合も同じ問題である――を別にすれば、ウィジャ盤は、手に持ったペンや鉛筆以上の意味を持たない。それは、言葉によって思考を伝えるための道具にすぎない。この事例でそれが示す人格や文学と比べれば、盤の重要性は小さい。ただし、ここで述べておくべきことがある。この巻でパティエンス・ワースのものとされる一語一語は、すべてカラン夫人がこの道具を通して受け取ったのである。

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