ギーター第1章第32節――勝利も王国も快楽も望まない

2026-07-09 記
トピック: AI記事: バガヴァッド・ギーター

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得るものより、失うもののほうが大きい

アルジュナは、勝利そのものの価値を問い始めます。王国も快楽も、さらには命さえも望まない。親しい人々を殺して得るものなら、それはもう自分が求めていたものではないと言うのです。

目的を達成しても、その過程で大切な人々をすべて失えば、喜びは残りません。この世でも来世でも、心の苦しみと責め苦だけが続く。アルジュナの問いは「勝てるか」から、「何のために勝つのか」へ移っています。手段があまりに恐ろしければ、王国も享楽も望む価値を失うという主張です。


ギータプレス版からの日本語訳――第1章第32節「勝利も王国も快楽も望まない」

na kāṅkṣe vijayaṁ kṛṣṇa na ca rājyaṁ sukhāni ca |
kiṁ no rājyena govinda kiṁ bhogairjīvitena vā || 32 ||

語句

na kāṅkṣe は「私は望まない」。

vijayam は「勝利」。

rājyam は「王国」。

sukhāni は「快楽」「楽しみ」。

govinda はクリシュナへの呼びかけで、 注釈では「牛を守る者」という意味も示されます。

kiṁ no rājyena は「私たちにとって王国が何の役に立つのか」。

kiṁ bhogaiḥ jīvitena vā は、 「享楽や、さらには命そのものが何の役に立つのか」です。

訳

「クリシュナよ、 私は勝利を望みません。

王国も、 快楽も望みません。

ゴーヴィンダよ、 王国が私たちにとって何の役に立つでしょうか。

享楽が、 あるいは命そのものが、 何の役に立つでしょうか。」

注釈訳

アルジュナは、 自分の心の状態を忠実に描き出した。

近しく愛しい人々を殺すことによって得られる勝利、 王国、 地上の快楽などは、 自分にはまったく望ましいものではないと語ったのである。

彼ははっきり見ていた。

その親族たちを殺すことは、 この世においても来世においても、 心の苦痛と責め苦以外の何ももたらさない。

それなら何のために戦うのか。

なぜ彼らを死に至らせなければならないのか。

そのような恐ろしい手段で得た王国と快楽を、 自分はいったいどうするのか。

アルジュナは、 彼らを殺した後の人生など、 自分には何の役にも立たないという明確な考えを述べたのである。