中秋の日になった。甄士隠は家での宴を終えると、書斎にも酒席を用意した。そして月の下を歩き、賈雨村を誘いに寺へ向かった。
雨村は、先日、甄家の侍女が二度振り返ったことを、自分を理解してくれる人のしるしだと思い込み、ずっと気にかけていた。ちょうど中秋の夜だったので、月を見ながら思いを募らせ、その場で五言律詩を詠んだ。
前世から来世まで続く縁がどうなるかも分からないのに、あの人を思うたび、悲しみが増していく。 苦しくなっては眉をひそめ、立ち去るときには何度も振り返る。 風に吹かれる自分の影を見ても、月の下で誰が連れ添ってくれるだろう。 月の光に心があるなら、まずあの美しい人の頭に差してほしい。
雨村は詩を詠み終えると、自分の抱負を思い返した。時運に恵まれないことを嘆き、頭をかきながら空を見上げ、さらに二句を高らかに詠んだ。
玉は箱の中で良い値がつくのを待ち、かんざしは化粧箱の中で飛び立つ時を待つ。
ちょうどそこへ士隠が来て、詩を聞いた。士隠は笑って言った。「雨村さんは、本当に大きな志をお持ちですね」雨村は慌てて、「とんでもありません。昔の人の詩を口にしただけなのに、そんなに褒めていただくとは」と答えた。そして「先生はどうしてこちらへ」と尋ねた。
士隠は言った。「今夜は中秋です。みんなで過ごす節句なのに、あなたは寺で暮らしているから、寂しいでしょう。そこで酒と料理を用意しました。うちの書斎で一杯いかがですか」雨村は断らず、「これほど親切にしていただいて、断るわけにはいきません」と答え、士隠と一緒に書斎へ戻った。
ほどなく茶が済み、酒と料理が並んだ。二人は席につき、初めはゆっくり飲んでいたが、話が弾むにつれて杯を交わす勢いも増した。通りの家々から笛や笙の音が聞こえ、頭上には明るい満月が輝いていた。二人はますます楽しくなり、杯を干しては酒を重ねた。
雨村はかなり酔い、月を見ながら思いを込めて、その場で四句の絶句を詠んだ。
十五夜の月が満ち、清らかな光が玉の欄干を照らす。 天に丸い月が昇ると、人々はみな仰ぎ見る。
士隠は聞くなり大いに喜んだ。「すばらしい。あなたはいつまでも人の下にいる人ではないと、前から思っていました。今の詩にも、高く飛び立つ兆しが見えます。遠からず出世するでしょう。おめでたいことです」そう言って、自分で酒を一斗注いで祝った。
雨村は飲み干したが、ふと嘆いた。「酒の勢いで大きなことを言っているのではありません。今の世に合った学問なら、私も受験者の一人になれるかもしれません。ただ、今は旅費を用意できないのです。都は遠く、字や文章を書いて稼いでも、そこまで行けません」
士隠は、雨村が話し終える前に言った。「どうしてもっと早く話してくれなかったのです。私も前から助けたいと思っていました。でも会うたびにその話が出なかったので、こちらからは切り出せずにいました。こうなったからには、私も義と利の違いくらい分かります。幸い、来年は大きな科挙があります。急いで都へ行き、春の試験に合格して、学んできたことを生かしてください。旅費などは私が用意します。私を理解者だと思ってくれた甲斐もあるでしょう」
士隠はすぐに小僧を呼び、銀五十両と冬着二揃いを用意させた。それから言った。「十九日は縁起のよい日です。その日に船を買って都へ向かうとよいでしょう。大きく羽ばたいて、来年の冬にまた会えたら、どんなにうれしいことでしょう」
雨村は銀と衣服を受け取り、ひと言礼を述べただけだった。特に気に留めた様子もなく、そのまま飲んで語り続けた。その日は夜も更け、三更を過ぎて、二人はようやく別れた。
訳注
| 訳文中の語句 | 訳注 |
|---|---|
| 五言律詩 | 五字の句を八句並べる漢詩の形式。ここでは雨村が侍女への思いを詠んでいる。 |
| 前世から来世まで続く縁 | 原文の「三生願」。生まれ変わりを越えて続く縁や願いを思わせる。 |
| あの美しい人 | 原文の「玉人」。玉のように美しい人という意味で、雨村が思いを寄せている侍女を指す。 |
| 玉は箱の中で良い値がつくのを待ち | 原文の「玉在匱中求善價」。まだ世に知られていない自分を、箱の中にしまわれた玉になぞらえている。 |
| かんざしは化粧箱の中で飛び立つ時を待つ | 原文の「釵於奩內待時飛」。かんざしが時機を待つ姿に、自分が世に出る機会を重ねている。 |
| 四句の絶句 | 原文の「絶句」。四つの句から成る漢詩の形式。 |
| 大きな科挙 | 官吏を選ぶための試験。雨村は合格して官職に就こうとしている。 |
| 一斗 | 古代中国の容量単位。時代によって量が違うため、現代の量には換算していない。 |
| 三更 | 夜を五つに分けた時刻の三番目。おおよそ夜半ごろを指す。 |
士隠が雨村を見送って家へ戻り、ひと眠りすると、日が高くなってからようやく目を覚ました。昨夜のことを思い出し、雨村に持たせる紹介状を二通書いて、都の役人の家を訪ね、そこに身を寄せられるようにしてやろうと思った。人を遣わして雨村を呼びに行かせると、使いの者が戻ってきて言った。「和尚の話では、賈様は今日、五更にはもう都へ発たれたそうです。和尚にも旦那様への伝言を残されました。『読書人は、吉日か凶日かにこだわらず、何事も道理を大切にすべきだ。直接ご挨拶できず、失礼した』とのことです」士隠は聞いて、仕方がないと諦めた。
時がたつのは早い。あっという間に元宵節になった。甄家の召使い、霍啓は、英蓮を抱いて祭りの出し物や灯籠を見に出かけた。夜中、霍啓は用を足したくなり、英蓮を人家の敷居に座らせた。用を済ませて戻り、抱き上げようとした時には、英蓮の姿がなかった。霍啓は夜通し探したが、夜明けになっても見つからない。主人のところへ戻るのが怖くて、他郷へ逃げてしまった。
娘が一晩帰らないので、士隠夫妻はただ事ではないと思い、さらに何人かを探しに出した。戻った者たちは皆、消息も手がかりもまったくないと言う。夫妻は半生でこの娘一人だけを授かった。それを突然失い、どれほど苦しんだことだろう。昼も夜も泣き、命も顧みないほどだった。一月ほどすると、まず士隠が病気になった。妻の封氏も娘を思いわずらって病気になり、毎日、医者を呼んで占いをした。
ところが、その年の三月十五日、葫蘆廟で供物を揚げていた。和尚の不注意で油鍋から火が燃え移り、窓紙に引火した。このあたりの家は、どこも竹垣と木の壁でできている。これも避けられない運命だったのだろう。火は次々に燃え広がり、家々を巻き込んで、通り一帯を火焔山のように焼いた。兵や住民が消しに来たころには、火の勢いが強く、とても消し止められなかった。一晩中燃え続け、ようやく鎮火した。何軒が焼けたのかも分からない。隣の甄家は、気の毒にも早くから瓦礫の山になった。夫妻と数人の家人は無事だったが、士隠は足を踏み鳴らし、長く嘆くばかりだった。妻と相談して、まずは田舎の荘園へ移ることにした。
ところが近年は洪水や干ばつで作物が取れず、盗賊があちこちで蜂起し、官兵も討伐に来るため、荘園でも安心して暮らせなかった。しかたなく田畑をすべて売って現金に換えた。妻と二人の侍女を連れ、岳父の家に身を寄せた。
士隠の妻の父は封肅といい、大如州の出身だった。農業をしていたが、家にはまだ蓄えがあった。落ちぶれた姿で頼ってきた士隠を見て、封肅はあまり快く思わなかった。
幸い、士隠には田畑を売ったお金がまだ残っていた。士隠はそのお金を封肅に預け、これからの暮らしのために家や土地を買ってもらうことにした。ところが封肅は、お金の一部を使い、残りから自分のもうけも得たうえで、士隠にはやせた田と粗末な家を少し与えただけだった。
士隠は読書人で、商売や農作業に慣れていない。どうにか一年か二年は暮らしたものの、ますます貧しくなった。封肅は会うたびにもっともらしいことを言いながら、人前でも陰でも、士隠は暮らし方が下手で、食べて怠けるばかりだと不満を言った。
人に頼っても当てにならないと悟った士隠は、悔やまずにはいられなかった。前年に遭った恐ろしい出来事に加え、焦りや怒り、恨み、悲しみが重なり、すでに体を損ねていた。年老いた身に貧しさと病気が重なり、とうとう死期が近づいた様子が少しずつ表れてきた。
訳注
| 訳文中の語句 | 訳注 |
|---|---|
| 紹介状を二通 | 原文の「薦書兩封」。都で雨村が役人の家を訪ね、そこに身を寄せるための紹介状。 |
| 五更 | 夜を五つに分けた時刻の最後。夜明け前を指す。原文は「五鼓」。 |
| 吉日か凶日か | 原文の「黃道黑道」。日取りの吉凶を占う考え方。雨村はそれより道理を大切にすべきだと言い残した。 |
| 元宵節 | 旧暦一月十五日の節句。灯籠を飾り、見物する習わしがある。 |
| 霍啓 | 英蓮を連れて祭りを見に出た甄家の召使い。 |
| 祭りの出し物 | 原文の「社火」。祭礼で行われる民間芸能や練り歩きの出し物。 |
| 消息も手がかりもまったくない | 原文の「音響全無」。行方を示す知らせも痕跡もないということ。 |
| 避けられない運命 | 原文の「劫數應當如此」。人の力では避けられない定め、という考えを表す。 |
| 田舎の荘園 | 原文の「田莊」。農地を含む地方の所領。 |
| 田畑をすべて売って現金に換えた | 原文の「折變」。土地などを売って現金にすること。 |
| 火焔山のように | 火が燃え盛る山。ここでは街を焼く炎の大きさをたとえている。 |
| 封肅 | 甄士隠の岳父。士隠から田畑を売ったお金を預かるが、その一部を自分のもうけに回し、士隠には少しの土地と粗末な家を与えた。 |
| 大如州 | 封肅が生まれた土地として記されている地名。 |
| お金の一部を使い、残りから自分のもうけも得た | 原文の「半用半賺」。預かったお金の一部を使い、利益も自分のものにした様子。 |
| やせた田と粗末な家 | 原文の「薄田破屋」。収穫の少ない田と、粗末な住まいを指す。 |
| もっともらしいこと | 原文の「現成話」。決まり文句や、その場だけのもっともらしい言葉。 |
| 死期が近づいた様子 | 原文の「下世的光景」。この世を去ることを遠回しに表す言い方。 |