『史記』五帝本紀――黄帝、神農氏に代わり天子となる

2026-10-01 記
トピック: AI記事: 中国古典: 司馬遷: 史記

本記事はAIを活用して作成しています。

司馬遷『史記』の冒頭、「五帝本紀」第一から、黄帝の出自と、神農氏に代わって天子となるまでを収めます。

五帝本紀ごていほんぎ第一

黃帝こうてい

原文

黃帝こうてい者,少典しょうてん之子,姓公孫こうそん,名曰軒轅けんえん。生而神靈しんれい,弱而能言,幼而徇齊じゅんせい,長而敦敏とんびん,成而聰明そうめい。

軒轅けんえん之時,神農しんのう氏世衰。諸侯しょこう相侵伐,暴虐ぼうぎゃく百姓ひゃくせい,而神農しんのう氏弗能征。於是軒轅けんえん乃習用干戈かんか,以征不享ふきょう。諸侯しょこう咸來賓從。而蚩尤しゆう最爲暴,莫能伐。炎帝えんてい欲侵陵諸侯しょこう。諸侯しょこう咸歸軒轅けんえん。軒轅けんえん乃修德振兵,治五氣,藝五種,撫萬民,度四方,教熊羆ゆうひ貔貅ひきゅう貙虎ちゅこ,以與炎帝えんてい戰於阪泉はんせん之野。三戰,然後得其志。蚩尤しゆう作亂,不用帝命。於是黃帝こうてい乃徵師ちょうし諸侯しょこう,與蚩尤しゆう戰於涿鹿たくろく之野,遂禽殺きんさつ蚩尤しゆう。而諸侯しょこう咸尊軒轅けんえん爲天子,代神農しんのう氏。是爲黃帝こうてい。

書き下し

黃帝こうていは、少典しょうてんの子、姓は公孫こうそん、名は軒轅けんえんと曰いふ。生まれながらにして神霊しんれいなり、弱じゃくにして能く言ひ、幼ようにして徇斉じゅんせい、長じて敦敏とんびん、成りて聡明そうめいなり。

軒轅けんえんの時、神農しんのう氏の世衰ふ。諸侯しょこう相侵し伐ち、百姓ひゃくせいを暴虐ぼうぎゃくす。而して神農しんのう氏能く征すること弗し。是に於いて軒轅けんえん乃ち干戈かんかを用ふることを習ひ、以て不享ふきょうを征す。諸侯しょこう咸來りて賓從す。而して蚩尤しゆう最も暴なれど、能く伐つもの莫し。炎帝えんてい諸侯しょこうを侵陵しんりょうせんと欲す。諸侯しょこう咸軒轅けんえんに歸す。軒轅けんえん乃ち德を修め兵を振ひ、五氣を治め、五種を藝ゑ、萬民を撫で、四方を度り、熊羆ゆうひ・貔貅ひきゅう・貙虎ちゅこを教へ、以て炎帝えんていと阪泉はんせんの野に戰ふ。三たび戰ひ、然る後其の志を得たり。蚩尤しゆう亂を作し、帝命を用ゐず。是に於いて黃帝こうてい乃ち師を諸侯しょこうに徵ちょうし、蚩尤しゆうと涿鹿たくろくの野に戰ひ、遂に蚩尤しゆうを禽殺きんさつす。而して諸侯しょこう咸軒轅けんえんを尊びて天子と爲し、神農しんのう氏に代はる。是れ黃帝こうていと爲す。

現代日本語訳

黄帝こうていは少典しょうてんの子で、姓は公孫こうそん、名は軒轅けんえんという。生まれながらにして神秘的な力を備え、幼いころから言葉を話すことができた。幼くして理解が早く、成長すると誠実で機敏、大人になると聡明であった。

軒轅けんえんの時代、神農しんのう氏の治世は衰えていた。諸侯しょこうは互いに侵略し攻め合い、民を虐げていたが、神農しんのう氏にはそれを征討せいとうする力がなかった。そこで軒轅けんえんは武器の扱いを習い、朝貢ちょうこうしない者を征伐せいばつしようとした。諸侯しょこうはみな客として従うようになった。

しかし、蚩尤しゆうはとりわけ凶暴で、誰も討つことができなかった。炎帝えんてい(神農氏の別名で、農業や医薬を人々に教えた古代の聖王)が諸侯しょこうを侵略しようとすると、諸侯しょこうはみな軒轅けんえんのもとに帰服きふくした。軒轅けんえんは徳を修めて軍備を整え、五気ごき(季節や自然界をめぐる五つの気)を治め、五穀ごこくを植え、民をいたわり、四方を測り、熊ゆう・羆ひ・貔貅ひきゅう・貙ちゅ・虎を軍に教え、阪泉はんせんの野で炎帝えんていと戦った。三度戦って、ようやく志を遂げた。

蚩尤しゆうが乱を起こし、帝の命に従わなかった。そこで黄帝こうていは諸侯しょこうから兵を徴発ちょうはつし、蚩尤しゆうと涿鹿たくろくの野で戦い、ついに蚩尤しゆうを捕らえて殺した。諸侯しょこうはみな軒轅けんえんを尊び、天子てんし(天下を治める君主)とした。神農しんのう氏に代わったのである。これが黄帝こうていである。

原著情報

  • 作品:『史記』
  • 篇:五帝本紀第一
  • 著者:司馬遷
[ 日本語 ]