ここでいったん、「神とは何か」「自己とは何か」という本題から少し離れます。
ここまで見てきたのは、主に宗教や思想が何を説いているかという問題でした。しかし、教義として何を説くかと、その教義を使って実際に人をどう扱うかは同じ問題ではありません。最後に筆者の立場を示す前に、視点を思想の内容から現実の運用へ移してみます。
どれほど美しい教義でも、その運用が人の自由や判断力を奪うなら、教義の内容とは別の評価が必要です。
神性、非二元、無我、自己超越といった言葉は、存在論として理解するだけでは足りません。同じ宗教語彙が、指導者、講師、代表、参加者の関係の中で、誰の権力を強め、誰の主体性を弱めるのかまで見る必要があります。
例えば、宇宙人を信じる集団でも、自由に質問でき、金銭や身体を支配されず、いつでも離れられるなら、信念の珍しさだけで危険とは言えません。反対に、一般的で穏やかな言葉を使う集団でも、質問を禁じ、外部との関係を切らせ、指導者へ生活判断を集中させるなら、組織上の問題があります。
ここでは、見る順番を少し変えます。
教義が珍しいかどうか
ではなく
自由に考え、断り、相談し、離れられるか
↓
その後で、権力集中を正当化する教義の使われ方を見る
「カルト」という難しい語は、この違いを見た後で考えましょう。
「カルト」は日本語では強い否定的意味を持ちます。一方、英語 cult は宗教研究史で異なる使われ方をしてきました。sect、cult、new religious movement の境界にも議論があります。
日本語の「新宗教」は、近世末期から近現代に成立した宗教運動を研究上まとめて扱う比較的記述的な語です。「新興宗教」は日常語として広く使われてきましたが、ときに一時的、いかがわしいという含意を伴います。一方、構成員の情報、行動、人間関係、金銭、身体など生活の広い領域へ強い統制を及ぼす状態を、本稿では「高統制的」と呼びます。「新しい宗教であること」と「高統制的であること」は別なので、本稿では歴史的カテゴリーには主に「新宗教」を用います。
宗教社会学者 Eileen Barker らは、価値判断を先に置かず比較するため new religious movement(新宗教運動)という語を用いてきました。しかし「何が新しいか」「何を宗教とするか」という問題は残ります。
本稿では、「奇妙な信念を持つ集団」という意味でカルトという語を使いません。
- 輪廻を信じる。
- 神秘体験を語る。
- 宇宙人を信じる。
- 現在の世界が決定的な終わりや転換を迎えるとする「終末論」を持つ。
こうした信念内容だけから、組織の危険性は判断できません。見るべきなのは、強制、権力集中、情報統制、金銭・性・身体への介入、離脱困難、批判不能性などです。
そのため以下では、必要に応じて「カルト的」「高統制的」という語を使いますが、二値のラベルより具体的な統制の特徴を優先します。
研究上も、一つの万能な診断概念があるわけではありません。thought reform は環境と対人過程を通じた思考・アイデンティティの再編を、coercive control は脅し、監視、孤立、資源支配などの継続的な強制を、high-control group は生活の広い領域へ強い統制を及ぼす集団を、それぞれ異なる角度から捉えます。どの概念にも適用範囲と批判があるため、名称だけで結論を出さず、観察可能な行動と制度を見ます。