本記事はAIを活用して作成しています。
本稿を通じて、自己をめぐる二つの極端が見えてきました。
自己の過大化
「私は神だから、私の判断は特別に正しい」
自己の過小化
「私は無知で価値がないから、師へ判断を全部委ねる」
前者は自己神格化、後者は主体性の放棄へ向かいます。しかし宗教的自己理解は、「自分を消すか、宇宙大に膨らませるか」の二択ではありません。
自分を宇宙の中心とは考えません。しかし、自分の判断、良心、身体の自己決定、尊厳、責任を放棄しません。自分が誤る可能性を認めます。しかし、指導者だけが誤らないとは考えません。他者にも神性や価値を見ます。しかし、他者との現実的な差異と境界を無視しません。
この「適切な自己の大きさ」は、単なる中庸のすすめではありません。自己を絶対化しないことと、自己を無価値化しないことを同時に成立させる課題です。
ラーマーヌジャの包含モデルや金光教の神人関係が興味深く見えるのは、この課題を考える余地があるからかもしれません。個人を消さず、個人を独立した絶対者にもしない。ただし、これをもって特定宗教の組織的健全性まで保証することはできません。思想構造と現実の運用は、やはり別に点検しなければなりません。