「神・純粋精神・ワンネス」の大分類
ここで、この部の比較を一枚の表にします。これは「最も高い宗教」を決める表ではありません。また、一行で各宗教の全体を説明し切るものでもありません。同じ伝統の内部に複数の学派がある場合は、代表的な配置を記しています。
「ニルグナ/純粋精神」は、同じ語を使っているかどうかだけでは判断しません。限定や三グナを超えた実在、純粋意識、否定神学的な超越など、働きの似た概念も含めます。ただし、仏教の空を純粋精神とは見なしません。「ワンネス」の欄には、何がどのような意味で一つなのかを記します。
| 伝統 | 神・究極者 | 神々・媒介的存在 | 人間・自己 | ニルグナ/純粋精神 | ワンネスの型 | 「人は神か」への概略回答 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| ユダヤ教 | 唯一の創造神 | 天使、預言者、聖者等は神ではない | 契約へ招かれる被造的人格 | 神の超越・不可視性に機能的類似 | 唯一神、契約共同体 | 人は神ではない。神の像、契約、聖化を語る潮流がある |
| カバラ | エン・ソフ、セフィロトを通じて知られる神 | 天使的世界、セフィロト等を区別 | 戒律・祈り・修復へ参与する人間 | エン・ソフに強い機能的類似 | 一神性+流出・顕現 | 人格的自我=エン・ソフではない |
| カトリック | 三位一体の創造神 | 天使・聖人は被造物、キリストは受肉した御子 | 神の像として造られた人格 | 否定神学的類似はあるがニルグナではない | 恩寵への参与、教会的一致 | 人は神でないが、恩寵で神の生命へ参与する |
| 東方正教会 | 三位一体の創造神 | 天使・聖人、キリストの固有性 | 神化へ招かれる人格 | 神の本質の不可知性に類似 | 神的エネルギーへの参与 | 本性上は人、恩寵により神化される |
| ルター派・改革派 | 主権的創造神 | キリストと聖霊、天使を神概念と区別 | 罪人であり、信仰により義とされる人格 | 超越神を説くが純粋精神=自己ではない | キリストとの結合、契約・教会 | 人は神にならず、キリストに結ばれ聖化される |
| メソジスト・ホーリネス | 愛と恩寵の創造神 | 聖霊の働き | 聖化と完全な愛へ向かう人格 | 独自ニルグナ概念は中心でない | 愛・聖化・教会共同体 | 完全は全知全能化でなく、愛の完成 |
| ペンテコステ・カリスマ派 | 三位一体神 | 聖霊の賜物、天使等 | 聖霊を受ける被造的人格 | 古典神観の超越性 | 内住・礼拝共同体 | 聖霊が働いても人格的自我=神ではない |
| 末日聖徒 | 天の父母、神的親子関係 | 霊的存在と人間の前存在を含む独自宇宙論 | 神の霊的子、永遠に成長する個人 | 乏しい。身体を持つ人格的父なる神を強調 | 家族・目的・愛の一体 | 人は神的可能性を持ち昇栄し得るが個人性を失わない |
| エホバの証人 | 唯一神エホバ | キリストを神と区別、天使等 | 被造物 | 乏しい | 唯一神と信徒共同体 | 人は神化しない |
| クリスチャン・サイエンス | 無限の Mind、Spirit | 物質的世界理解を相対化 | 神的Mindの像・表現としての真の人間 | 強い機能的類似 | 神と霊的人間のunity | 人格的自我が全能神になるのではない |
| 世界平和統一家庭連合 | 天の親としての神 | 霊界的存在を含む独自体系 | 神の子、家庭と人類の一員 | 乏しい | 心情的一体、人類一家族 | 人は神との親子関係を回復する |
| 主流イスラム | 唯一の創造神アッラー | 天使、預言者、聖者は神ではない | 神の僕・被造物 | tanzīhに機能的類似 | タウヒード、ウンマ | 人は神ではない。近さと慈悲は神人同一ではない |
| スーフィズム | タウヒードを前提とする神・真理 | 預言者、聖者、師を神と区別 | 神を愛し想起する被造的主体 | 無限定の実在を語る潮流に類似 | fanāʾ、baqāʾ、存在一性の多様な語彙 | 自我を滅し神に生きる。単純なエゴ=神ではない |
| 初期仏教・上座部 | 涅槃、法、縁起。創造神を中心にしない | デーヴァ・梵天も輪廻内にあり得る | 五蘊を永遠の自己としない | 適用困難。涅槃は無為だが純粋精神ではない | 実体的一者を中心にしない | 永続的な「人=神」の式を立てない |
| 中観 | 空、二諦、縁起 | 神々も空で縁起する | 自性ある自己を否定 | ない/適用困難 | 空・非独立性 | 人も神も独立実体として固定しない |
| 唯識 | 識の構造、転依、智慧 | 仏・菩薩を創造神としない | 人我・法我への執着を変容 | 非概念的智慧に限定類似 | 主客非二元 | 個人的思考が望む世界を創造するのではない |
| 如来蔵・仏性 | 仏性、本来清浄性、法身の諸解釈 | 仏・菩薩 | 成仏可能性を持つ衆生 | 宗派により限定類似 | 本来性・相即 | 仏性は人格的エゴの神格化ではない |
| 禅 | 仏性、空、修証 | 仏・歴代の師 | 固定的自己を忘れ、本来性を実現 | 無相・本来の面目に限定類似 | 主客非二元 | 「私が特別な神になった」ではない |
| 浄土真宗 | 阿弥陀仏の本願と、それにまかせる信心 | 諸仏・菩薩 | 煩悩を抱えた凡夫 | 中心でない | 他力・関係・信仰を共にする仲間 | 凡夫が本願に救われ成仏する。自己万能論ではない |
| 天台・日蓮系 | 法華経、ものごとの真実のあり方、一念三千 | 仏・菩薩・教えを守る神々 | 十の境地を互いに具え、成仏可能な衆生 | 中心でない | 相即、すべてを成仏へ導く一つの教え | 一念に世界を具えることと願望創造を分ける |
| 真言密教 | 大日如来、法身、法界 | 諸仏・菩薩・密教の諸尊 | 三密加持で即身成仏する行者 | 法身・無相に機能的類似 | 加持・相応・法界 | 行者が仏の智慧を実現するがエゴ万能化ではない |
| アドヴァイタ | ニルグナ・ブラフマン、経験上のイーシュヴァラ | デーヴァは経験的世界に位置づく | 真我アートマン/経験的ジーヴァ | 明示的 | 究極的非二元 | 真我とブラフマンは二つでない。人格的自我=全能神ではない |
| ヴィシシュタ・アドヴァイタ | ナーラーヤナという最高人格神 | 他の神々は最高者に依存 | 神の身体に含まれる実在的ジーヴァ | シャンカラ的無属性を否定 | 包含・一体性と差異 | 魂は神に包含されるが個人性を保つ |
| ドヴァイタ | 最高神ヴィシュヌ | 諸神・魂は階層的に神へ依存 | 永遠に神と異なる個別魂 | シャンカラ的意味ではない | 神人の存在論的ワンネスを否定 | 神は神、人は人 |
| ベーダーベーダ | ブラフマン/クリシュナ等 | 諸神の位置は学派による | 神と一であり異なるジーヴァ | 学派による | 差異と非差異 | 個人性とバクティを保持する |
| サーンキヤ | 多数のプルシャとプラクリティ | 創造神を体系に要しない古典形 | 多数の純粋意識プルシャ | 明示的な機能対応 | 一者への融合なし | 真の自己は純粋意識だが神ではない |
| 古典ヨーガ | 多数のプルシャ、特別なプルシャとしてのイーシュヴァラ | イーシュヴァラは煩悩・業に触れない | 識別される個別プルシャ | 明示的な機能対応 | 全プルシャの融合なし | 自己を心身から識別し、イーシュヴァラへ祈念する |
| ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ | 多数の実在、後代の神 | 神と魂を区別 | 多数の個別アートマン | 乏しい | なし | 魂は神や他魂へ融合しない |
| ミーマーンサー | ヴェーダ、ダルマ、行為秩序 | 創造神を必須としない立場がある | 行為主体としての魂 | 中心でない | 中心でない | 神人同一より儀礼・ダルマが中心 |
| カシミール・シヴァ派 | 自由で動的なシヴァ意識 | 神々はシヴァ意識の顕現として位置づき得る | 制限されたシヴァとしての主体 | 強い機能的類似 | 顕現型非二元 | 自己の本性がシヴァだと再認識する |
| シヴァ・シッダーンタ | 主シヴァ | 神々を含む宇宙秩序 | 主と異なる多数の魂 | 中心でない | 恩寵による関係的一体 | 魂は解放後もシヴァとの差異を保つ |
| シャークタ諸派 | 最高女神、シャクティ、女神意識 | 多数の女神・神格 | 帰依者または女神性を実現する主体 | 学派による | 帰依・顕現・非二元 | 諸派により大きく異なる |
| ジャイナ教 | 創造神なし。無数のジーヴァと非ジーヴァ | 神々もカルマと再生に従う | 浄化される個別ジーヴァ | 個別魂の純粋化 | 一者への融合なし | 各魂が解脱するが創造神にはならない |
| シク教 | Ik Oankar、一なる神 | グル、聖者を神概念と区別 | haumaiを超え、神名と恩寵に生きる人間 | 形・限定を超える神に類似 | 一神的内在・関係・共同体 | 人格的自我=神ではない |
| 黒住教 | 天照大御神、万物の親神 | 神々の体系を背景に持つ | 分心をいただく人間 | 太陽・神心・根源性に限定比較 | 内在・親子的一体 | 神性を宿すが人格的欲望=絶対神ではない |
| 金光教 | 天地金乃神 | 天地の働きと神人関係 | 神の氏子・神の子 | 独自のニルグナ概念ではない | 相互関係・あいよかけよ | 人は神と共に立ち行くが自我=創造神ではない |
| 大本 | 主神、万物普遍の霊 | 多様な神々を大きな神学へ位置づける | 天地経綸の主体 | 無限・普遍の霊に機能的類似 | 神人合一・万教同根 | 神意に一致し世界を立て直す主体 |
この表から見える六つのこと
第一に、ニルグナ的概念があることと、ワンネス思想があることは別です。サーンキヤと古典ヨーガは、三グナを超えた純粋意識としてプルシャを説きます。しかし、多数のプルシャを一者へ融合させるわけではありません。
第二に、ワンネス概念があっても、神と人間の同一を意味するとは限りません。一神教では神の唯一性、カトリックや正教会では神への参与、イスラム教では信仰共同体の一致、天台では相即というように、「一つ」の意味が違います。
第三に、多数の神々がいることと、究極的実在が多数あることは同じではありません。多くの神格を認めながら、一なる最高者や根源を置く伝統もあります。
第四に、創造神を否定することと、神々や聖なる存在を否定することは同じではありません。仏教とジャイナ教にも神々は登場しますが、唯一の創造神を中心には置きません。
第五に、人間の神性を認めることと、個人性を消すことは同じではありません。神への参与、分心、神の子、仏となる可能性などは、それぞれ異なる仕方で神性や本来性を語り、個人性の扱いも違います。近代神智学と現代スピリチュアルの概念は、これから説明した後で最終比較表へ加えます。
第六に、「私は神」という文章だけでは、表のどこにも配置できません。そこでいう「私」と「神」が何を指すのか、両者はどのような関係なのか、どのような状態や能力を語っているのか、倫理をどう考えるのかを追加しなければなりません。
同じ「神的な人間」を語る文を翻訳し直す
宗教には、人間を高く評価する強い言葉があります。これらをすべて「人は神」と要約することはできます。しかし、要約した瞬間に、最も大切な違いが消えてしまいます。
| 表現 | 元の宗教的方向 | 「人格的自我=神」と違う点 |
|---|---|---|
| アートマンはブラフマンである | 真我と究極実在の非二元 | 人格的履歴や欲望主体を真我として固定しない |
| 人間は神の像である | 創造者を映す被造的人格 | 像は創造者そのものではない |
| 人は神の子である | 親子、恩寵、愛、成長 | 子と親の関係を残す |
| 人は神的本性にあずかる | 恩寵による参与・神化 | 神の本質を自我が所有しない |
| すべての衆生に仏性がある | 成仏可能性、本来清浄性 | 欲望や無知をそのまま仏と正当化しない |
| 自己の本性はシヴァである | 制限された主体が普遍的シヴァ意識を再認識する | 制限された心の全判断を絶対化しない |
| 人間には分心が宿る | 親神の神心を人間内部に認める | 分心を妨げる欲望・臆病等の吟味がある |
| 人は神の子・氏子である | 天地金乃神との相互関係に生きる | 個人一人が世界を創造する話ではない |
| ハイヤーセルフにつながる | 日常自己を超える高次自己を想定する | 定義が流動的で、古典アートマンと同じとは限らない |
表現の強さだけなら、「アートマンはブラフマン」が最も急進的に見える。ところが心理的には、創造者と被造物を分ける宗教の方が、神から愛される個人の尊厳を強く支える場合もあります。反対に、非二元を語る人が社会的には強い上下関係を作る場合もあります。
つまり、神と人間が存在の上でどれほど近いか、本人が自分をどう評価するか、組織がどれほど平等かは、必ずしも連動しません。