インド思想各派を「純粋精神・神・ワンネス」で分類する
「インド思想=ヴェーダーンタ=梵我一如」と考えると、多くの学派が見えなくなります。
ベーダーベーダと不可思議差異非差異
Bhedābheda(差異非差異)諸思想は、魂とブラフマンが異なると同時に異ならないと考えます。ガウディーヤ・ヴァイシュナヴァの acintya-bhedābheda(不可思議差異非差異)では、ジーヴァと世界はクリシュナの力であり、神と一であると同時に異なります。
これは「半分だけ同じ」という数量的妥協ではありません。関係が、人間の論理だけでは完全に把握できない仕方で差異と一体性を同時に持つという主張です。個人性とバクティは残ります。
サーンキヤ――多数の純粋精神
サーンキヤは、puruṣa(プルシャ)と prakṛti(プラクリティ)を区別します。プルシャは見る者、純粋意識であり、プラクリティは三グナからなる自然です。
プルシャはニルグナ的純粋精神に非常に近い比較対象です。しかし、アドヴァイタのブラフマンと違い、多数存在します。解脱は全プルシャが一つへ融合することではなく、各プルシャが自分とプラクリティを識別し、独存することにあります。
古典ヨーガ――特別なプルシャとしてのイーシュヴァラ
古典ヨーガはサーンキヤに近い多元的二元論を持ちながら、イーシュヴァラを特別なプルシャとして認めます。心の動きが深く静まり、対象へ集中・没入した状態は samādhi(三昧)と呼ばれます。イーシュヴァラへの祈念は三昧への道となりますが、すべての個別プルシャがイーシュヴァラへ溶けるわけではありません。
この体系は、「純粋精神概念がある=ワンネス思想」という等式を崩します。純粋意識が多数あり、解脱後も一者へ統合されないモデルが存在するからです。
ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ――多数の実体と神
ニヤーヤ・ヴァイシェーシカは、世界、個別の魂、物質、性質、関係などを実在として分析します。後代の有神論では神が世界秩序の原因・統御者として論証されますが、個々の魂は神と融合しません。
ここでは正しい認識が苦の終息に重要ですが、純粋意識一元論ではありません。「哲学的であること」と「非二元であること」は同じではありません。
ミーマーンサー――神より、なすべき行為と儀礼を中心にする
ミーマーンサーはヴェーダの儀礼命令、言語、なすべき行為とその規範、行為と結果を中心に発達しました。この「保つもの」「なすべき規範」を表す語が dharma(ダルマ)です。学派によって神の扱いは異なりますが、世界を創造する最高神を体系の不可欠な出発点としない古典的立場があります。
ここでも「ヴェーダを権威とする=有神論」「インド正統派=ブラフマン一元論」という思い込みが崩れます。
カシミール・シヴァ派――動的な非二元
非二元的カシミール・シヴァ派では、究極実在は自由で動的なシヴァ意識であり、世界はその意識の自己顕現として肯定的に理解されます。解脱は、自分の本性がシヴァであると再認識することです。
アドヴァイタと同じ「非二元」でも、世界の重心が違います。世界を無明による重ね合わせとして相対化する説明より、唯一の意識が自由に多として現れる創造的顕現が前景化します。
この創造性を、人格的願望による manifestation へ直結させてはいけません。シヴァ意識の宇宙的自由と、制限された個人の欲望は同じではありません。
シヴァ・シッダーンタ――主・魂・束縛
シヴァ・シッダーンタは、pati(主シヴァ)、paśu(個々の魂)、pāśa(束縛)を区別します。神の恩寵によって魂は束縛から解放されますが、古典的な形ではシヴァと魂の差異が残ります。
同じシヴァ教でも、カシミール・シヴァ派の非二元的再認識とは異なります。神名が同じでも存在論は同じではありません。
シャークタ・タントラ――女神は力か、最高人格神か、絶対意識か
シャークタ諸伝統は Devī(女神)・Śakti(力)を中心にしますが、一枚岩ではありません。女神を最高人格神として愛し礼拝する伝統、世界と身体を女神の力の顕現として肯定する伝統、行者と女神の非二元を実現するタントラ的伝統があります。
「女神=宇宙エネルギー」「女性性を開けば豊かさが来る」という現代語へ直接翻訳すると、儀礼、神学、戒、師資関係、解脱論が消えてしまいます。ジェンダー化された現代スピリチュアルは、古典シャークタからの直線的継承ではなく、別系統の混成として調べる必要があります。
ジャイナ教とシク教
ジャイナ教は、無数のジーヴァが実在し、カルマ的物質から浄化される多元論です。解脱した魂も一者へ融合しません。創造神を立てず、純粋化された個別意識を多数認めます。
シク教は Ik Oankar(一なる実在・神)を中心に、神名の想起、恩寵、奉仕、共同体を重視します。神は超越的であると同時に世界へ内在し、人間の haumai(自己中心的な「私」意識)が神との結びつきを妨げます。分類上は一神的内在、恩寵、エゴの超越を組み合わせますが、イスラム、バクティ、非二元の単なる混合として扱いません。
インド諸派の比較
| 思想 | 究極・基本実在 | 純粋精神/ニルグナ | ワンネス | 個人性と解放 |
|---|---|---|---|---|
| アドヴァイタ | ブラフマン | 明示的 | 真我との非二元 | 個我を究極視せず、非二元知 |
| ヴィシシュタ・アドヴァイタ | ナーラーヤナ | 無属性ではなく無限の吉祥属性 | 包含 | 魂は残り、帰依と奉仕が完成 |
| ドヴァイタ | ヴィシュヌ | 属性ある最高者 | 神人の存在論的一体を否定 | 永遠の差異と神への近接 |
| ベーダーベーダ | ブラフマン/クリシュナ等 | 学派による | 差異と非差異 | 個人性とバクティを保持 |
| サーンキヤ | 多数のプルシャとプラクリティ | プルシャが三グナを超える | 一者への融合なし | 識別と独存 |
| 古典ヨーガ | 多数のプルシャ、特別なイーシュヴァラ | プルシャが三グナを超える | 一者への融合なし | 心作用の止滅と独存 |
| ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ | 多数の実体・魂、後代の神 | 中心ではない | なし | 個別魂の差異が残る |
| ミーマーンサー | ヴェーダ・ダルマ・行為秩序 | 中心ではない | 中心でない | 儀礼と行為、学派差 |
| カシミール・シヴァ派 | シヴァ意識 | 限定を超える動的純粋意識 | 顕現型非二元 | シヴァ性の再認識 |
| シヴァ・シッダーンタ | シヴァ、魂、束縛 | 中心ではない | 関係的一体 | 魂は差異を保ち恩寵で解放 |
| シャークタ諸派 | 女神・シャクティ | 学派による | 帰依、顕現、非二元 | 諸派で大きく異なる |
| ジャイナ教 | 無数のジーヴァと非ジーヴァ | 個別魂の純粋化 | 一者への融合なし | カルマ除去後も固有性を保持 |
| シク教 | Ik Oankar | 形や限定を超える一なる神 | 一神的内在・関係 | haumaiを超え恩寵と奉仕に生きる |