「私は神」か、そうではないのか (41/79) - 34 spiritual bypassing――霊性が回避になるとき

2026-08-14 記
トピック: AI記事: スピリチュアル

本記事はAIを活用して作成しています。

心理療法家 John Welwood(ジョン・ウェルウッド)が広めた spiritual bypassing は、霊的な思想や実践を使って、未解決の心理的課題、感情、対人問題、身体的・社会的現実との直面を避ける傾向を指します。

例えば、怒りを感じている人に「怒りは低い波動だから手放せ」とだけ言えば、その怒りが境界侵害や不正を知らせている可能性が無視されます。虐待を受けた人に「すべては学び」「あなたが選んだ」と言えば、加害者の責任と被害を受けた人の安全を確保する必要性が、霊的な説明の下に隠れてしまいます。

spiritual bypassing はカルトの同義語ではありません。個人の実践でも起こり得ます。しかし、組織権力と結びつくと、苦痛や異議を「エゴ」「未覚醒」「カルマ」と処理する便利な装置になります。

ここまでで、本稿の中心にある二つの区別が見えてきました。

神性を認めること ≠ 人格的自我を神格化すること
自己を越えること ≠ 自分の判断と主体性を放棄すること

第VI部では、一人の内面と対人関係の中で起こる反転を見ました。この問題が組織と権力へ広がる場合については、第IX部で改めて扱います。次の第VII部では、ここまでの比較をまとめ、「人は神か」という問いをもう一度組み立て直します。


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