第V部と第VI部は、本稿の本論に当たります。第V部では、異なる宗教思想、心理学、成功思想、市場の語彙が、現代スピリチュアルの中でどう交差したかを見ました。この部では、その混成した「私は神」という言葉が、人間の心と行動の中で何をするのかを考えます。
ここで問うのは、人間の神性を語る思想が正しいか間違っているかだけではありません。同じ言葉が、自己中心性を弱め、他者への尊重へ向かうこともあれば、自分の願望、直感、能力を絶対化する方向へ向かうこともあります。その分岐がどこにあるのかが、この部の中心です。
長い歴史の話から、最初の一言へ戻ってみましょう。
「私は神である」と言われたら、まず三つの段階に分けて聞いてみます。
第1段階 その「私」と「神」は何か
第2段階 そこから、どのような能力や願望を導くのか
第3段階 その主張を使って、他者へ何を要求するのか
最初は、ただの自己肯定の比喩かもしれません。そこへ現実創造や「自分は間違わない」という主張が加わると、話は少し重くなります。さらに他人へ何かを要求し始めれば、権威と権力の問題になります。ライトな言葉を最初から危険視するのではなく、どこで意味が変わったのかを追ってみましょう。
励ましが重い主張へ変わる境目
第1章では、「自分は神」が尊厳を取り戻す励ましにもなれば、外界や他人を自由に動かせるという主張にもなり得ることだけを確認しました。ここでは、その間にある変化を詳しく見ます。
注意したいのは、日常の人格、真の自己、ハイヤーセルフなどが同じ「私」にまとめられ、尊厳の象徴、究極実在、創造神の能力が同じ「神」にまとめられることです。この二つの入れ替えが起きると、次のような飛躍が見えにくくなります。
人間の本質には神聖なものがある
↓
現在の私は、その神性を完全に実現している
↓
私の体験と直感は正しい
↓
私の願望には宇宙的な創造力がある
↓
他者も私の判断に従うべきである
各矢印には、それぞれ別の根拠が必要です。神聖さを感じたこと、本性について何かを信じること、それを十分に実現したこと、特別な能力を持つこと、他者への権限を持つことは同じではありません。
ライトな表現そのものを責める必要はありません。問題は、詩的な励ましが、いつ存在の説明、因果法則、医療・金銭判断、他者支配の根拠へ変わったかです。その変化を、五つの段階に分けてみましょう。
ライトな「自分は神」を五段階に分ける
まず、段階と主張だけを並べます。検討領域と危険の境目は、続く各節で一段ずつ追加します。
| 段階 | 主張 |
|---|---|
| 1 尊厳の比喩 | 私にも尊厳と可能性がある |
| 2 共同創造の比喩 | 選択と行動を通じ、他者や環境と共に人生を作る |
| 3 形而上学的な現実創造 | 私の意識が外界を創造する |
| 4 霊的身分の宣言 | 私は神の化身・高次存在・完全覚醒者である |
| 5 権力の神学 | 私の判断は神意なので、他者より正しく拘束力を持つ |
「自分は神」と軽やかに言う現代スピリチュアルも一枚岩ではありません。少なくとも五段階に分けると、批判すべき点と、単なる言葉遣いの違いを分けられます。
第1段階 尊厳の比喩
「あなたは神」「あなたは宇宙の宝」という表現が、「あなたは無価値ではない」「他人に人生の価値を決めさせなくてよい」という励ましとして使われます。
これは宗教哲学として厳密でなくても、心理的機能は理解できます。虐待的関係や過度な自己否定から離れる人にとって、強い肯定語が必要な場合があります。
ここでは「神」は価値の最大級表現であり、創造神やブラフマンの厳密な定義ではありません。この段階を、アドヴァイタの誤読として長々と論破しても、発言者の意図と噛み合わない。
第2段階 共同創造の比喩
「自分の選択が人生を作る」「意識を向けたものが行動と人間関係を変える」という意味で、人間の創造性を強調します。
人間の注意、期待、習慣、行動が現実の一部を変えることは珍しくありません。計画を立て、技能を学び、人と協力すれば、未来の選択肢は変わります。「共同創造」という語を、神、他者、社会、自然、偶然との相互作用を忘れない比喩として使うこともできます。
問題は、共同という語が消え、個人意識だけが全原因になるときです。
第3段階 形而上学的な現実創造
「意識が現実を作る」「波動に一致した出来事を引き寄せる」という一般法則を主張します。
この段階では、詩的励ましではなく因果説になっています。どの範囲の現実を、どの意識が、どの仕組みで作るのかを説明する必要があります。
- 個人の知覚と解釈が経験世界を作るのか。
- 行動と対人反応を通じて結果へ影響するのか。
- 集合意識が社会制度を作るのか。
- 外部の物理的出来事まで、思考だけで選択するのか。
- 他人の意識と願望が競合した場合、何が決めるのか。
- 乳児、災害被災者、犯罪被害者の苦しみも本人の創造なのか。
問いを細かくすると、「意識が現実を作る」の中に、心理学的にもっともらしい部分、社会的相互作用、検証困難な形而上学が混ざっていることが分かります。
第4段階 霊的身分の宣言
「私は神の化身である」「私は高次元から来た」「私は完全覚醒者である」と、自分の霊的身分を主張します。
この主張が個人的神話として本人を支えるだけなら、直ちに他者被害が生じるとは限りません。しかし身分が、料金、性的関係、服従、批判免除、政治的権限へ結びつけば、外部検証が必要になります。
ここでは、前に見たデーヴァターとの比較が役立ちます。デーヴァターとは、人間より大きな力を持つことはあっても、それだけでモークシャ(解脱、自由)を得ているとは限らない神格です。仮に高次存在、神格、特別な魂という自己理解を認めたとしても、それだけで解脱、全知、倫理的完全性が保証されるわけではありません。
第5段階 権力の神学
「私の言葉は神の言葉である」「私へ反対することは宇宙へ反対することだ」と、神性を他者支配の根拠にします。
この段階では、形而上学上の真偽を保留しても、組織的検討ができます。
- 異議を申し立てられるか。
- 指導者の予言や判断が外れたとき修正されるか。
- 指導者自身も同じ倫理規則に従うか。
- 金銭と性の境界が守られるか。
- 離れる人が脅されないか。
「本当に神か」を決着させなくても、「神を名乗る人へどこまで権力を与えるか」は判断できます。