陰謀論を信じる人について、「知識が少ないから」「頭が悪いから」と説明されることがあります。しかし、それだけでは十分ではないように思います。
知識が多く、論理的に考える力がある人でも、非常に精巧な陰謀論を組み立てることがあります。反対に、専門知識が特別に多くなくても、陰謀論的な説明に簡単には飛びつかない人もいます。
この違いには、社会をどのようなモデルで捉えているかが関係しているのではないでしょうか。
本稿で考えたい中心仮説は、次のものです。
陰謀論は、異なる意思を持つ多数の主体からなる社会を、一つの意思を持つ巨大な主体として理解すると成立しやすくなる。
これは、陰謀論が生まれる理由を一つだけで説明するものではありません。不安、怒り、所属欲求、政治や報道への不信、情報環境、娯楽性など、ほかにも多くの要因があります。そのうえで、ここでは「世界を一枚岩として見る認知」に焦点を当てます。
行動が揃っていても、意思が揃っているとは限らない
会社で社長が一つの方針を決め、役員、部長、社員がその方針に従ったとします。外から見れば、会社全体が一つの意思で動いているように見えるでしょう。
しかし、内側にいる人たちの考えは同じとは限りません。
- 本当に正しいと思っている人
- 反対だが、立場上従っている人
- 出世や評価のために賛成している人
- 自分の部署だけ守ろうとしている人
- どうでもよいと思っている人
- 表向きは従いながら、現場では一部しか実施しない人
同じ行動の内側に、異なる動機や利害が同時に存在することは珍しくありません。
したがって、まず区別したいのは次の二つです。
行動の統一と、意思の統一は別である。
複数の人や組織が同じ方向へ動いているという事実だけから、「全員が同じ目的を共有している」と結論することはできません。
自分の考えを、そのまま他人へ当てはめない
私たちは他人の考えを直接見ることができません。そのため、「自分がその立場なら、どう考えるか」を使って他人を推測します。これは日常生活に必要な働きです。
ただし、その推測をそのまま事実にすると、飛躍が生じます。
自分が経営者なら、利益を増やそうとする
↓
経営者なら、誰でも同じように考えるはずだ
↓
実際に彼らは、その計画を進めているに違いない
実際の経営者にも、短期利益を優先する人、会社を長く存続させたい人、法的リスクを避けたい人、評判を守りたい人、技術や理念を優先する人がいます。
「自分ならこうする」と、「他人も実際にそう考えている」は別である。
自分の頭の中で作った権力者像を、そのまま現実の権力者へ重ねないことが必要です。
命令が存在しても、そのまま結果になるとは限らない
仮に、組織のトップが本当に一つの計画を持っていたとしても、計画どおりの結果が出るとは限りません。
現実の組織では、命令は途中で変形します。
命令
↓
中間層による解釈
↓
実行可能な形への修正
↓
選択的な実施、手抜き、抵抗
↓
現場での対応
↓
結果
組織は機械ではありません。上位者の意思が、そのまま下位者の意思になり、そのまま結果へ変換されるわけではありません。
上にいる人からは、「自分が指示し、周囲が『はい』と答え、組織が動いた」ように見えることがあります。しかし下から見れば、表では従いながら内心では反対している、命令を現場向けに変えている、数字だけを整えているということもあります。
ここから、「権力を持つ経験が、表面的な服従を内面的な同意と誤認させる場合があるのではないか」という仮説も考えられます。ただし、これは本稿独自の仮説であり、研究によって確認済みの結論として述べるものではありません。
「彼ら」という巨大な一人格を分解する
陰謀論的な説明では、「政府」「マスコミ」「医者」「製薬会社」「富裕層」「西側」「エリート」などが、一つの人格を持った存在のように語られることがあります。
「彼らは知っている」「彼らは隠している」「彼らはこうしたい」と言った瞬間、多数の人間や組織からなる現実が、「彼ら」という巨大な一人格へ圧縮されます。
しかし、「政府」と呼ばれるものの内側にも、政治家、官僚、各省庁、地方政府、与党、野党などが存在します。情報も利害も権限も同じではありません。企業、医療、報道、専門家集団についても同様です。
「政府が隠している」と聞いたときには、次のように分解できます。
- どの省庁の誰が知っているのか
- 誰が企画し、誰が承認したのか
- 誰が実行し、誰が反対したのか
- 現場職員まで知っているのか
- 記録はどこに残るのか
- 政権交代後も秘密を維持できるのか
- 野党、競合組織、他国政府はなぜ暴露しないのか
- 何が確認されたら、その仮説を修正するのか
「彼ら」を具体的な人へ分解すると、巨大な意思についての物語が、人間同士の協調と証拠についての検証可能な問題へ変わります。
分解すれば、すべての陰謀説が消えるわけではありません。具体的な主体と証拠が見つかる場合もあります。分解は、陰謀を否定する方法ではなく、確かめる方法です。
社会は階層よりネットワークに近い
陰謀論の世界は、しばしば次のような階層として描かれます。
上位の支配者
↓
政府
↓
企業
↓
メディア
↓
専門家
↓
一般人
このモデルでは、上位者の意思が下位へそのまま流れます。しかし現実の社会は、単純な指揮命令系統というより、多数の主体が部分的に結びついたネットワークに近いでしょう。
政府と企業は協力することもあれば、対立することもあります。企業同士は競争します。政治家と官僚、専門家同士、メディア同士、国家同士の利害も、いつも一致するわけではありません。
各主体は、協力、競争、交渉、抵抗、誤解、情報隠し、独自利益の追求を同時に行います。
世界を一本の階層として見ると、多くの出来事が一つの命令から生じたように見えます。世界をネットワークとして見ると、同じ結果が異なる理由から生じることが見えやすくなります。
結果があることと、設計者がいることは別
多数の人が別々の理由で動いた結果、全体として一方向へ動いているように見えることがあります。
渋滞を作りたい人はいなくても、それぞれが車で移動すれば渋滞は生まれます。バブル、住宅価格の高騰、官僚制の硬直化、SNS上の流行なども、一人の設計者がいなくても起こり得ます。
制度、損得、評価、同調圧力、情報不足、偶然が重なれば、誰も全体を設計していなくても、似た行動が大量に発生します。
秩序が存在することと、設計者が存在することは別である。
同じ結果が生じたことと、全員が同じ目的を持っていたことも別です。
同様に、「誰が利益を得たか」は調査の入口にはなりますが、原因認定の終点にはなりません。ある出来事でAが利益を得たとしても、それだけでAが出来事を計画し、実行したことにはなりません。
利益を得た者と、起こした者は別である。
陰謀そのものは現実に存在する
ここまでの話を、「世の中に陰謀など存在しない」という主張にしてはいけません。
汚職、談合、カルテル、情報隠蔽、諜報活動、政治工作、企業不正など、複数人が秘密裏に協力する行為は実際に存在します。
したがって、見るべきなのは「陰謀か、陰謀でないか」という名前ではなく、その計画が成立する条件です。
- 関係者は何人か
- 何組織、何か国にまたがるか
- 利害はどの程度一致しているか
- どれほど長く続ける必要があるか
- どこまで情報共有が必要か
- 離反者や内部告発者が出ても維持できるか
- 政権交代、転職、競争相手の介入を越えられるか
- 意図した結果までに、何段階の命令と実行が必要か
少人数、短期間、利害が一致した陰謀は成立し得ます。一方、何十か国、何万人、何十年、利害の異なる組織が完全に協力し、重大な漏洩なく狙った結果を出し続けるという仮説ほど、説明しなければならない協調コストが増えます。
陰謀を最初から否定するのではなく、規模、期間、利害、証拠、協調コストから現実性を見ます。
人は行為を選べても、結果そのものは選べない
人は意図を持ち、その意図に基づいて行為を選べます。行為によって結果へ影響を与えることもできます。
しかし、行為と結果は一対一ではありません。社会では、他者、制度、自然、身体、時代、偶然など、自分が完全には支配できない要因が交差します。
これは陰謀についても同じです。
陰謀を意図する
↓
計画し、実行する
≠
狙った結果を、そのまま得る
陰謀は結果に影響を与え得ます。しかし、計画を実行したことだけから、計画者が結果のすべてを決められたとは言えません。
『バガヴァッド・ギーター』第2章47節に接続して、「行為は選べるが、結果は選べない」「結果は与えられるものだ」と捉える立場もあります。これは同節の逐語訳ではなく、本稿の文脈に引きつけた要約です。
「神が結果を与える」という表現も、比喩または有神論的な理解としては成り立ちます。ただし、ここでいう神は、私やあなた一人の望みに合わせて世界を動かす、個人専属の願望実現者ではありません。
結果には、自分の行為だけでなく、他者の行為、異なる利害、制度、自然、身体、時代、偶然が関わります。「神から与えられる」と表現する場合も、自分が完全には支配できない世界全体から結果を受け取る、という意味に限定した方がよいでしょう。
IQより、社会を見るモデルの解像度
数学や論理問題が得意でも、その能力を自説の補強だけに使えば、非常に精巧な陰謀論を作ることができます。
反対に、特別な専門知識がなくても、人には建前と本音があること、組織内部には対立があること、命令は途中で変形することを、生活経験からよく知っている人もいます。
本稿で問題にしたいのは、人の優劣ではありません。
社会を見るモデルの解像度。
複数の人間を、別々の情報、利害、意図を持つ主体として保てること。
この力は固定的な能力でもありません。誰でも、不安、怒り、時間不足、所属集団、情報環境によって、複雑な社会を単純化することがあります。
なぜ陰謀論YouTubeは面白く見えるのか
陰謀論動画の魅力を、「すべて嘘だから視聴者が騙される」とだけ説明することもできません。
動画の中には、個々には正しい材料が使われているものがあります。
- 実際にその人物が発言した
- 実際に企業が献金や出資をした
- 実際に法律や政策が実施された
- 実際に人物同士が会った
- 実際に特定の企業が利益を得た
- 実際に政府が過去に情報を隠した
個別に確認すると本当である材料が並ぶため、視聴者は「この人はきちんと調べている」と感じます。
問題は、事実そのものより、事実と事実の間にあります。
A社が政治家に献金した
Bという政策が実施された
A社がその後利益を得た
三つがすべて事実でも、「A社が政治家を動かしてBを実施させた」とは、それだけでは証明されません。
その空白へ、「もしかすると」「これは偶然でしょうか」「断定はしませんが」「こう考えると全部つながります」という推測が入ります。
事実は正しい。接続が怪しい。そして結論が面白い。
前半にある事実の信用が、後半の大胆な推測へ移されます。個々の部品は本物でも、部品同士を結ぶ接着剤が推測である場合があります。
「証拠はありません」「あくまで想像です」と明言すること自体は、正しい態度です。しかし、その直後に映像、音楽、反復、問いかけによって一つの結論だけを強く印象づければ、視聴者の頭には因果関係だけが残る可能性があります。
さらに、「私は答えを言いません。皆さん自身で考えてください」と結論を視聴者へ委ねる話法があります。人物同士の面会、資金の流れ、政策の時系列を並べ、最後に「これは偶然でしょうか」と問う。発信者が結論を言わなくても、視聴者は「自分で秘密を発見した」と感じます。
陰謀論動画は、説明というより謎解きとして進みます。視聴者は情報を聞く人ではなく、秘密を解く参加者になります。
そして結論には、主人公、敵、意図、秘密、因果、結末があります。「複数の事情が重なった」という説明より、「数年前から計画されていた」という説明の方が、物語として分かりやすく、驚きがあります。
「世間は知らない」「メディアは言わない」「自分たちは気づいた」という構図は、知識だけでなく、「気づいた側」という自己評価や共同体への所属感も与えます。材料を追加するたびに続編を作ることができ、コメントでの推理、共有、長時間視聴とも相性がよいでしょう。
ただし、これもYouTubeのアルゴリズムだけを原因にする話ではありません。発信者の編集、視聴者の需要、社会への不信、娯楽性、収益化、共同体、推薦環境が組み合わさるものとして考える必要があります。
陰謀説に出会ったときの確認方法
陰謀論らしい話に出会ったとき、最初から信じる必要も、最初から笑って否定する必要もありません。
次の順番で分けると、主張を確かめやすくなります。
- 何が確認された事実か。
- 何が解釈や推測か。
- 事実同士を結ぶ因果関係には、どのような証拠があるか。
- 「彼ら」とは具体的に誰か。
- 誰が企画、承認、実行し、誰が反対したのか。
- 利益を得た者と、出来事を起こした者を混同していないか。
- 計画の人数、期間、利害、情報共有、漏洩リスクはどの程度か。
- 一人の設計者がいなくても、同じ結果が生じる仕組みはないか。
- 何が観察されたら、その仮説を修正するのか。
具体的な主体、証拠、成立条件、別の説明へ分けることで、曖昧な巨大物語を検証可能な主張へ変えられます。
世界を、分かりやすい一人の人物にしない
本稿の中心仮説をまとめます。
陰謀論は、異なる意思を持つ多数の主体からなる社会を、一つの意思を持つ巨大な主体として理解すると成立しやすくなるのではないか。
そのとき、次のものが混同されます。
- 行動の統一と、意図の統一
- 結果の統一と、設計者の存在
- 自分ならこうするという推測と、他人が実際に考えていること
- 利益を得た者と、出来事を起こした者
- 行為による影響と、結果そのものの支配
陰謀論への耐性とは、何でも疑うことではありません。人間や組織を細かく分け、それぞれが別の情報、利害、意図を持っていることを、その複雑さのまま保つことです。
世界を、分かりやすい一人の人物にしてしまわない。
分かりやすさで世界を閉じず、確かめられる形に開いておく。それが、本稿で提示したい考え方です。