神は善なのか――完全神と不完全な神々
ここでは、神の種類へ倫理的完全性と無知の有無だけを追加します。
| 比較対象 | 倫理的位置 | 過ちや無知 |
|---|---|---|
| 完全善としての最高神 | 善の根拠・完全性として語られる | 原則として認めない |
| 神話的な神々 | 自然・社会・心理の両義性も体現する | 認められることがある |
| インドの神々・天界存在 | 高位・強力でも、生まれ変わりを繰り返す世界の内にいる場合がある | 欲望、恐れ、慢心を持ち得る |
| 現実の霊的指導者 | 人間として通常の倫理に拘束される | 誤り得る |
ここから導かれる注意は、表の後で一つずつ確認します。完全善としての最高神には悪と苦しみをどう説明するかという問題が生じます。神話上の神々は、「神だから常に善」とは限りません。インドの神々については、能力と、迷いから自由になる知恵を分ける必要があります。そして現実の指導者にとって、神性や宗教体験は倫理的免責にならない。
一神教的な古典神観では、神は完全な善であるとされることが多いです。すると、善で力ある神がいるのに、なぜ悪と苦しみが存在するのかという問題が生じます。この問題を神義論と呼びます。
一方、多神教的神話の神々は、必ずしも倫理的完全者ではありません。嫉妬し、争い、欺き、過ちを犯す。これは「宗教が未熟だから」だけではありません。神々が自然、政治、家族、運命、人間心理の両義性を体現する場合があります。
インドの伝統で「輝く者」「神」を意味する deva(デーヴァ)も、宇宙的な働きや高い身分を持ちながら、欲望、恐れ、慢心を示し得る。仏教の神々も誤った見方を持ち得る。日本神話の神々も、完全に抽象化された道徳原理ではありません。
この違いから、二つの危険な誤解が生じます。
第一に、「神と呼ばれるなら、その言うことはすべて善で正しい」と考えること。これは最高善としての唯一神の属性を、あらゆる神格・霊的存在へ移しています。
第二に、「神話の神が過ちを犯すから、霊的指導者も通常倫理を超えてよい」と考えること。神話的象徴を、現実の権力者への免責へ変えています。
日常の自己感覚を越え、神聖なものとの一体感や、強い光、深い静けさなどを経験したと感じることを、本稿では広く「神秘体験」と呼びます。本稿の原則は明快です。
神性、神格、霊能力、神秘体験は、現実の人間に対する倫理的免責を与えない。
全知・全能とは何を意味するのか
全知とは、単に多くを知ることではなく、真であるすべてを完全に知ることを指します。全能とは、何か一つの強い力を持つことではなく、可能なすべてをなし得る完全な力を指します。まずこの意味を押さえてから、似て見える人間の体験と比較してみましょう。
| 主張 | 実際に示している範囲 | 示していないこと |
|---|---|---|
| 予感や直感が当たった | 一部の出来事について判断が当たった | すべてを知る全知 |
| 強い意図で状況を変えた | 行動・注意・関係が結果へ作用した | 無から世界を作る全能 |
| 神秘的一体感を経験した | 強い宗教的・心理的体験があった | 神の能力を人格的に所有したこと |
| 人間の最も深い本性と、存在の根本は二つではない | 本当の自己についての哲学的主張 | 個人の心が全情報へ接続したこと |
現代スピリチュアルの「自分は神」は、しばしば能力の話へ移ります。全能も、気分次第で論理矛盾を実現する魔法ではありません。古典的な神学では、論理的に可能なすべてをなし得る力として論じられてきました。
これらは非常に強い性質であり、人間の直感、透視、予感、意味のある偶然が重なったと感じる経験とは、程度だけでなく種類が違います。
ある出来事を当てた
≠
すべてを知っている
強い意図で一部の行動や環境を変えた
≠
世界を無から創造できる
神秘的な一体感を経験した
≠
神の全知全能を人格的に所有した
後に見るインド思想には、「人間の最も深い本性と存在の根本は二つではない」と考える立場があります。このような意味で二つとしないことを非二元と呼びます。しかしそこでも、日常の個人の心が全情報を取得できるとは考えない。個人の脳、記憶、視点、言語は限定されています。「根本では一つである」と「明日の株価を知る」は別の主張です。
この区別は、霊的商法にも関わります。「あなたは神だから何でもできる」と励ました後、「できなかったのは信念が弱いから」と責任を本人へ返すなら、全能性の約束は反証不能になります。
日本語の「神/kami」は God より広く、God とも違う
第1章で見たように、日本語の「神」には、自然、土地、祖先、歴史上の人物、神話上の存在、根源的な神まで入ってきます。そのため、英語の God や、イスラム教の唯一神アッラー、仏教のブッダ、神の使者である天使を、すべて同じ種類の「神」として扱うことはできません。
| 語 | この比較で忘れてはいけないこと |
|---|---|
| God | 古典的一神教では、唯一の創造者や存在の根拠を指す |
| Allāh(アッラー) | イスラム教における唯一の創造者であり、他の神々の一人ではない |
| kami | 自然、場所、祖先、人物、働き、霊威などを含み得る |
| buddha(ブッダ) | 世界の創造神ではなく、「目覚めた者」を意味する |
| angel(天使) | 古典的一神教では神そのものではなく、神に造られた使者である |
したがって、「神様に会った」という日本語だけでは、世界の創造者に会ったのか、神社で祀られる神を感じたのか、夢や内面の象徴を経験したのかは決まりません。さらに、何かを神聖な存在として体験したことと、その存在が全知全能で倫理的に完全であることも別です。
日本の神観、神仏習合、人物を祀ることを含む詳しい比較は、第1章と第VIII部の「存在の根本、世界の主、そして個々の神々」で扱います。ここでは、翻訳で同じ「神」になっても、元の概念まで同じになるわけではない、という注意だけを持ち越します。