励ましと、世界の説明は同じではない
「あなたならできる」は励ましです。
「あなたには選ぶ力がある」も、多くの場合は励ましです。
しかし、「あなたの心が、あなたに起きる出来事のすべてを作る」は、世界の仕組みについての主張です。さらに、「病気や事故も本人の心が作った」と言えば、他人の苦しみをどう見るかという問題になります。
| 言葉 | 日常的な受け取り方 | 話が重くなる地点 |
|---|---|---|
| あなたには力がある | 選択や努力の余地がある | 何でも思いどおりにできる |
| 世界はあなたを応援している | 希望を失わなくてよい | 起きた出来事はすべて宇宙の計画である |
| 自分の声を信じよう | 他人に支配されず考えよう | 自分の直感は決して間違わない |
| 自分は神である | 自分にも尊厳がある | 自分の判断は神の判断である |
| 思いは現実を変える | 行動や見方が結果に影響する | 思考だけで外界や他人を支配できる |
境目は、いつもはっきりしているわけではありません。
前向きに考えたことで、行動が変わることはあります。人への接し方が変わり、結果として人間関係が変わることもあります。今まで見落としていた機会に気づくこともあります。心の状態が身体の調子に影響することも珍しくありません。
しかし、そこから「心は世界のすべてを直接作る」へ進むには、大きな飛躍があります。
雨の日に機嫌よく過ごせるかは、自分の考え方に左右されます。しかし、考え方だけで雨を止められるとは限りません。病気にどう向き合うかには心の働きが関係します。しかし、病気になった原因を本人の考え方だけに求めることはできません。人との出会いに備えて自分を整えることはできます。しかし、相手の気持ちまで自分が作ったことにはなりません。
「自分の経験に関われること」と「世界のすべてを支配できること」は違うのです。
私が変わることと、世界を作ることは同じなのか
「自分は神」という言葉が励ましの範囲にあるうちは、自分の尊厳や選ぶ力を取り戻す助けになります。しかし、そこから「自分の意識が外界のすべてを作る」「自分の直感は神の声だから間違わない」へ進むと、別の問題が始まります。
自分の受け止め方や行動が変われば、経験する世界も変わります。けれども、自分の心が変わることと、天候、病気、災害、他人の意思まで自由に作ることは同じではありません。
また、大きな一体感や神聖さを体験したことと、他人より高い身分を得たことも別です。体験が本人にとって大切でも、そこから「だから私に従うべきだ」という権利は自動的には生まれません。
自分の尊厳を取り戻す
≠
外界と他人を自由に支配する
神聖さを体験する
≠
他者より上の権威を得る
この二つの混線は、後半で願望実現、神秘体験、霊的階層、組織権力を扱うときに詳しく見ます。ここでは、「自分は神」という一文が、励ましから世界説明や権威主張へ変わる境目がある、と覚えておけば十分です。
「神を信じるか」だけでは足りない
ここまで見てくると、「あなたは神を信じますか」という質問だけでは、多くのことが分からないと気づきます。
その人が信じているのは、願いを聞く相手なのか。世界の造り主なのか。自然の中に感じる命なのか。自分の奥にある声なのか。宇宙全体を支えるものなのか。
その神は、人間のように考え、決め、語るのか。人間とは比べられないものなのか。世界の外にいるのか。世界の中にもいるのか。人間と近づくのか。最初から離れていないのか。
そして、その人が「自分は神である」と言うなら、さらに聞くことがあります。
- いま怒ったり迷ったりしている自分が、そのまま神なのか。
- 自分の奥に、普段の自分とは違う何かがあるという意味なのか。
- すべての人に同じものがあるのか。
- 自分の願いと神の望みは、いつも同じなのか。
- 間違ったとき、どうやって気づくのか。
- 他人が反対したとき、その人の意思も尊重されるのか。
- その考えは、自分を自由にするのか、誰かへの服従を求めるのか。
このような問いを置けば、神を信じる人と信じない人を二つに分けるより、はるかに多くのことが見えてきます。
難しい言葉は、違いを忘れないためにある
この章では、できるだけ難しい名前を使わずに話を進めてきました。
それでも、すでにいくつもの違いが現れています。
| いままでに出てきた違い | 素朴な問い |
|---|---|
| 願いを聞く相手/世界を支えるもの | 神は誰かなのか、何かなのか |
| 人間より強い存在/すべての根本 | 神は世界の中にいるのか、世界を成り立たせるのか |
| 外から導く神/内に感じる神 | 神と私は離れているのか |
| 自分を励ます言葉/世界の仕組みの説明 | 「自分は神」は比喩なのか、事実の主張なのか |
| 自分を超える体験/特別な身分 | 体験したことから、どこまで言えるのか |
| 誰もが尊い/一部の人だけが上位 | 「みんな神」は本当に平等なのか |
| 自分の人生へ関わる力/世界を支配する力 | 私は何を変えられるのか |
宗教や哲学で使われる難しい言葉は、本来、この違いをさらに細かく見分けるためにあります。難しさを競うためではありません。
一つの言葉を覚えるたびに世界が遠くなるなら、説明の順番が逆なのです。先に疑問があり、その疑問を短く指し示すために名前が後から付く。
次章からは、今まで「神」と一つに呼んできたものを、少しずつ分けていきましょう。
世界を造る神。人間に語りかける神。人間より強いが完全とは限らない神々。自然や土地に感じられる神。世界のすべてを支えながら、姿を持つ一人とは言いにくいもの。人間の内側にあるとされる神らしさ。
その違いが見えれば、「私は神である」という文にも、少なくとも二つの空欄があることが分かります。
「私」とは、どの私なのか
「神」とは、どの神なのか
この二つを埋めない限り、「私は神」か、そうではないのかには答えられません。
ここから先は、問いを一度に増やしません。まず式の左右だけを見ます。
第1段階 「神」とは何か
第2段階 「私」とは何か
↓
二つを確認してから、両者の関係を見る
その基本地図ができた後で、個人性、救済、願望、体験、権力を一層ずつ追加します。これらは重要ですが、最初の二問と同時に答えようとすると混線しやすいからです。