私たちが普段「神様」と呼んでいるものを、身近なところから眺めてみましょう。願いを聞く神様と、山や川の神様は同じなのでしょうか。「自分は神」と言うときも、同じ神を指しているのでしょうか。その疑問を出発点にします。
まずは、こんな順番で見ていきましょう。
身近な「神様」
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「自分」と「神」を別々に考える
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神にはどのような種類があるかを見る
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神と世界の関係を考える
ここでは、正確な宗教用語を覚えるより、「どうも同じ神ではなさそうだ」と感じ取れれば十分です。
「神」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか
「神」と聞いたとき、最初に浮かぶものは人によって違います。
空の上から世界を見ている大きな存在を思い浮かべる人もいます。神社の森や鳥居を思い浮かべる人もいます。亡くなった家族に見守られている感じを思い出す人もいます。夕焼けや星空を見たときの、言葉にできない大きさを「神」と呼ぶ人もいるでしょう。
特定の姿は思い浮かばないが、「この世界には、人間の都合だけでは決まらない何かがある」と感じる人もいます。反対に、神という言葉には何の実感もなく、昔の物語や宗教施設の中だけにあるものだと考える人もいます。
どれが正しいかを決める前に、このばらつきそのものを見ておきたいです。
私たちは同じ「神」という一文字を使いながら、実際にはかなり違うものを思い浮かべているからです。
| 「神」と聞いて浮かぶもの | そこで期待されていること |
|---|---|
| 願いを聞く相手 | 困ったときに助けてくれる |
| 世界を造った存在 | なぜ世界があるのかを説明する |
| 善悪を見ている存在 | 悪を戒め、善を支える |
| 自然や土地に宿るもの | 場所や生命への畏れを呼び起こす |
| 自分の奥にある声 | 迷ったときに進む方向を示す |
| 宇宙全体を動かす力 | 出来事のつながりや秩序を説明する |
| 人間には言い表せないもの | 分からなさを分からないまま受け止める |
これらは重なることもあります。願いを聞く神が世界の造り主でもあり、善悪の裁き手でもある、という考え方もあります。自然のすべてに神を感じながら、その奥には一つの大きな力があると考える人もいます。
しかし、必ず重なるわけではありません。願いを聞く存在が、世界そのものを造ったとは限りません。自然の中に神を感じることと、自然のすべてが一人の意志によって動かされていると考えることも同じではありません。自分の奥から聞こえる声を大切にすることと、その声が宇宙全体の命令だと考えることの間にも距離があります。
まず必要なのは、神を信じるか信じないかを決めることではありません。自分が何を神と呼んでいるのかを、少しゆっくり見ることです。
山も川も、亡くなった人も「神様」になり得る
日本で「神様」という言葉を聞くと、話は最初から少し複雑です。
山そのものが神聖だとされることがあります。大きな岩や古い木、海、風、雷、田畑の実りに神を感じることもあります。神話に登場する神が祀られる一方で、その土地を守る神、仕事を守る神、家や一族と結びついた神もいます。
そこで使われるのが「八百万の神」という言葉です。「八百万」は、神様を数えて八百万いると確定したという意味ではありません。数え切れないほど多くの神々がいる、という言い方です。神社本庁の説明でも、自然の中に見いだされる神、神話に登場する神など、多数の神々が信仰の対象になるとされています。
ここでは、神は宇宙に一人だけいる最高責任者とは限りません。山の神と海の神がいてもよいでしょう。台所を守る神と学問を助ける神がいてもよいでしょう。一つの神がいるから、ほかの神が存在できなくなるわけでもありません。
さらに、日本では人間だった人物が、死後に神として祀られることもあります。
有名なのが菅原道真です。道真は最初から天上にいた神ではなく、平安時代に生きた学者・政治家でした。亡くなった後に天神さまとして祀られ、現在では学問の神として親しまれています。太宰府天満宮は、道真を「天満大自在天神」として祀る場所です。
徳川家康も同様に、亡くなった後、神として祀られた人物です。日光市観光協会の案内は、日光東照宮を「徳川家康を神としてまつる神社」と明記しています。
生きていた人間
↓ 死、記憶、物語、祀ること
神として祀られる人物
この図だけを見ると、「日本では死んだ人がみんな神様になる」と思うかもしれません。しかし、そこまで単純ではありません。
家族の中で亡くなった人を祖先として敬い、「今も見守ってくれている」と感じることはあります。日常会話では、亡くなった人を「仏様」と呼ぶこともあります。神と仏と祖先の境目は、生活の中では教科書の分類ほど明確ではありません。
それでも、すべての死者が自動的に神社の神となり、学問や商売を守る力を持つ、と一律に考えられているわけではありません。家の祖先として敬われること、亡くなった人を懐かしむこと、特定の人物が共同体によって神として祀られることは、重なる部分があっても同じではありません。
| 「亡くなった人と神」のイメージ | おおよその意味 |
|---|---|
| 祖先が見守る | 家族や一族の死者とのつながりが続く |
| 亡くなった人を「仏様」と呼ぶ | 仏教語と日常的な死者観が重なっている |
| 歴史上の人物を神社で祀る | その人物の働き、霊、記憶を神として敬う |
| 怨みを残した死者を丁重に祀る | 畏れられる霊を鎮め、守る力へ転じることを願う |
| 世界を造った神 | 人間だった死者とは別種の神概念である |
ここで大切なのは、「神」が生き物の種類の名前とは限らないことです。
ある存在が何からできているかよりも、どのように現れ、何を守り、人々からどう祀られているかによって「神」と呼ばれることがあります。自然、神話上の存在、祖先、歴史上の人物が、同じ神という言葉の中へ入ってきます。
これを、キリスト教などでいう世界の創造者としての God とそのまま重ねると混乱します。キリスト教では、偉大な人が死んだから世界の創造主になるわけではありません。聖人も天使も、神そのものとは区別されます。
したがって、日本語で「人も死ねば神様になる」と言う場合と、「人間の本質は究極的実在と一つである」と言う場合と、「私は世界を創造する神である」と言う場合は、まったく別の話です。
日本的な神の感覚から出発するなら、「人が神になる」という発想自体は、それほど奇妙には聞こえません。しかし、その親しみやすさのために、祖先、人間だった人物を祀る神、天界の存在、世界の創造者、人間の内なる神性が、一つの「神様」にまとめられてしまうこともあります。
この記事がこれからほどいていくのは、まさにその混線です。
神様は、どんなときに必要になるのか
普段は神について考えない人でも、ふと神に近い言葉を口にすることがあります。
試験や手術の前に「どうかうまくいきますように」と願うことがあります。事故を免れたときに「助かった。何かに守られたのかもしれない」と感じることもあります。自分の努力ではどうにもならないことを前にして、「あとは天に任せる」と言うこともあるでしょう。大切な人を失ったとき、その人がどこかで見ているように感じることもあります。
ここで呼ばれている神は、難しい説明の中にいる神ではありません。人間の力が届かない場所に向けられた言葉の受け手です。
人は、すべてを自分で決められるわけではありません。努力しても失敗します。注意していても病気になります。善い人に不幸が起こり、悪い行いがすぐ裁かれるとも限りません。生まれる場所も時代も自分では選べない。明日何が起きるかも、完全には分かりません。
そうした「自分では決められない部分」に向き合うとき、神という言葉が現れやすくなります。
神は、願いをかなえる相手としてだけでなく、自分の限界を思い出させる相手にもなります。「人間には分からないことがある」「自分の思いどおりにならないものがある」と認めるために、神という言葉が使われることもあります。
一方で、まったく逆の使い方もあります。
スピリチュアルの文脈において、「自分は神なのだから、現実はすべて自分で選べる」「自分の意識が世界を動かす」と語られるとき、神という言葉は人間の限界を示すものではなく、限界を取り払うものになります。
同じ神という言葉が、一方では「自分にはどうにもならないことがある」と教え、他方では「自分に不可能はない」と励ます。この時点ですでに、神という言葉が正反対の方向へ使われていることが分かります。
子どものころの神と、大人になってからの神
子どものころ、神様は「何でも知っていて、何でもできる人」のように見えやすいものです。困ったときには助け、悪いことをすれば見ています。姿は見えませんが、人間よりずっと大きく、強く、賢い存在です。
このイメージは分かりやすいものです。人間の能力を大きくしていけば、神になるように思えるからです。
人間より強い
人間より賢い
人間より長く生きる
人間にはできないことができる
↓
とても大きくすると神になる
しかし、大人になって少し考えると、疑問が出てきます。
どれほど強くても、世界の中にいる一人なら、その存在は世界そのものを造った神とは違うのではないか。未来を少し知ることができても、何もかも知っていることにはなりません。病気を治す力があっても、善い存在だとは限りません。長く生きることと、死なないことも同じではありません。
人間よりはるかに優れた存在と、すべての始まりである神は、同じなのでしょうか。
ここは、神の話で最初に混ざりやすいところです。
物語には、強いが怒りっぽい神、知恵はあるが失敗もする神、人間を助ける神、人間を困らせる神が登場します。そうした神々は、人間を超えた力を持っていても、必ずしも完全ではありません。
一方で、「神は間違わない」「神は完全に善である」「神は世界が存在するための根本である」と語る宗教もあります。この神は、単に人間より強い存在ではありません。
さらに、姿も考えも持つ一人の存在としてではなく、世界のすべてを成り立たせている、言葉では捉えられない何かを神と呼ぶ考え方もあります。
したがって、「神を見た」「神の声を聞いた」「神と一つになった」という話を聞いたときには、その人の言う神がどれなのかを確かめないと、話の意味が決まりません。